イベント2022

小出裕章 講演会
原発事故は終わっていない  放射能から子どもを守ろう
11月25日(金)14:00〜16:30

茨城県県南生涯学習センター 多目的ホール
開催されました。

コロナもあり、金曜日の平日と言うことで、参加者は決して多いとは言えませんでしたが、100名近かったので、 より内容が良かったので、開催したかいがあったと自負しています。

当日記録を担ってくださった西中誠一郎さんが youTubeに動画をアップしてくださいました。
 以下のURLがYouTube動画です。 ぜひ多くの皆様にご覧いただきたいと思います。https://www.youtube.com/watch?v=ZG_WS7IdHBs

以下は 西中さんの言葉です。
「小出先生の講演会のビデオ編集作業をしながら、
日本の戦争植民地責任問題、戦後の原発推進政策と福島原発事故、
新たな戦時体制づくりと原発政策の再転換などに対して
警鐘を鳴らし続ける、小出先生の言葉の一つ一つが身に刺さる
ような思いがしました。なんとか諦めなくことなく、この厳しい社会情勢を、
皆んなの力で変えていきたいものです。」

ご希望の方に、 印刷に出して当日配布した レジメ資料(A4版カラー8ページ)を
頒布させていただきます。 この資料は大変好評でした。
1部200円で 送料は150円です。
たんぽぽ舎や花小路にも置いてあります。
動画を見るとき 参考になると思います。
申込み連絡先 小張佐恵子 saekoobari@gmail.com
本講演会主催団体:福島応援プロジェクト茨城では、
活動資金を求めています
 カンパ口座
ゆうちょ振替口座 00180-2-466753ゆうちょ銀行 金融機関コード 9900
店番 19 預金種目 当座
店名〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
口座番号 280923

講演スライド:
https://drive.google.com/file/d/1zbC_JhDB1cl_IA_Gx16RnX7rJjUWzIU2/view?usp=share_link

** 講演 書き起こし** 司会:小張佐恵子、福島応援プロジェクト茨城事務局長)

小出裕章氏

 皆さんこんにちは。

 茨城県のこの場所(土浦)で、福島の事故のことを聞いてくださるということで、喜んでお伺いしました。今から1時間半ほど「(福島の)原発事故は終わっていない」というタイトルで聞いていただこうと思います。

 これは皆さん、もう十分ご存じだろうと思いますが、2011年3月11日に事故を起こして壊れました、福島第一原子力発電所の写真です。

 この写真には、1号機、2号機、3号機、4号機という4つの原子炉が写っていまして、福島の発電所にはこの写真には写っていない5号機と6号機というのが、右側、方位で言うと北側のほうにあと2機ありました。その5号機と6号機は、辛うじて大きな事故に至らずに済みました。でも、1号機から4号機までは、少し見にくいですが、ボロボロに壊れてしまうということになって、大量の放射能がここから吹き出してきました。

  周辺の環境に降り積もって、その汚染が現在でももちろん残っていて、人々を被曝させ続けている。この敷地の中でも、何とか放射能をこれ以上出さないようにしなければいけないということで、現在でも3,000人、4,000人という労働者たちが放射能と戦い続けているという、そんなことになってしまっています。

 事故自身は今現在も進行中です。そのことをまず順番に聞いていただこうと思います。
まず、原子力発電というものは一体どんなものなのかという原理を見ていただこうと思います。

 私は今から、この左の下に小さな四角を書きます。

分かっていただけたでしょうか。この小さな四角で私は何を意味しようとしたかというと、広島の原爆が炸裂したときに核分裂をしたウランの重量です。800グラムでした。

 司会者の方が私にお茶を用意してくださっています。これはどうも600グラムらしいです。これと大して変わらない。投げ上げることだって容易だという、その程度のウランが核分裂した途端に、広島のように巨大な町が一瞬にして壊滅してしまうという猛烈なエネルギーを出しました。

  ひどい爆弾だと思いました。心から私は原爆というものを憎みました。でも、たった800グラムのウランが燃えて、1つの町を壊滅させるほどのエネルギーが出るのであれば、そのエネルギーを人類の平和のために使えないかと私は思い込んでしまいました。

そして、大学に進学するときに工学部原子核工学科というところをわざわざ選んで、そこに行って、原子力発電をやろうとしました。

 では、私が夢をかけた原子力発電というものをやろうとすると、一体どれだけのウランを核分裂させなければいけないのか。

  今日では100万キロワットという原子力発電所が標準になりましたが、その標準の原子力発電所1基を1年運転しようとすると1トンのウランを核分裂させなければいけません。

 広島の町を壊滅させたウランの優に1,000発分を超えるウランを核分裂させなければ原子力発電という機械が動かない。そういう機械だったのです。

 ウランを核分裂させれば核分裂生成物という死の灰ができます。広島の場合には800グラム。原子力発電をやろうと思えば、1つが1年ごとにその1,000倍を超える死の灰を生み出すという、そういう機械だったのです。

 途方もない危険を生み出して、それを原子炉の中にため込みながら運転するという機械でした。

 今、私は、原子力発電を、機械だ、機械だと言ったわけですが、どんな機械も時に故障して事故を起こします。

  きょうこの会場に車で来られた方、多分いらっしゃるのではないかと思いますが、車の事故なんて誰も望みません。でも、車の事故は時に起こります。事故というのはそういうものです。そして、車もそうですし、原子力発電もそうですが、それを動かしているのは人間です。人間は神じゃありません。必ず間違いを犯す、そういう存在です。

 原子力発電も機械ですから、事故から無縁だなんていうことは決してあり得ないわけです。もちろん、原子力発電が事故を起こしたら大変なことになるということは、原子力の専門家ならみんな分かっていたわけですから、何とか事故を起こさないようにしようと思いました。事故なんて起きてほしくないと私だって思ったし、原子力を進めた人たちだって思っていたわけですけれども、そんな人間の願いとは全く関係なく、事故というのは起きるわけです。

 私は、もうこれはだめだと思いました。与える危険が大き過ぎる。万一事故になったらもう途方もない被害が出るから、原子力発電はやめなければいけないと私は思いました。

  でも、私と、私のごく少数の仲間を除くと、原子力の専門家たちはそうは考えなかったのです。念には念を入れて、慎重にやって、安全装置を何重にもつければ、事故を防ぐことができるのではないかと彼らは考えました。

 でも、彼らも不安だったんです。ひょっとすると考え落としがあって、大きな事故があるかもしれない。そうなったらやっぱり困るから、どうしようかと彼らも悩んだ。悩んだ末に考えついたことは、非常に単純なことでした。原発は都会に建てないということを彼らは決めたわけです。

 今ここに日本地図を見ていただいていますが、この地図の上に、日本というこの国で一体どこに原子力発電所を建ててきたかということを、歴史的に書いてみようと思います。

 まず、一番初めは、皆さんの県である東海です。次が敦賀と美浜。次が福島第一原子力発電所。さらに、中国地方の島根、若狭湾の高浜、九州の玄海、静岡の浜岡、四国の伊方、若狭湾の大飯、福島第二原子力発電所、東北の女川、九州の川内、新潟県の柏崎刈羽、北海道の泊、能登半島の志賀、下北半島の東通、こうやって次々と全国17か所に原子力発電所を作ってきました。

 そして福島の事故が起きたわけですが、そのとき日本というこの国では、まだ2か所、新たな原子力発電所を作ろうとしていました。1つは、下北半島の最北端、大間というところ。もう一つは、瀬戸内海の端の上関というところです。まだこの2つは動いてはいませんけれども、でも作ろうとしていたのです。

 こうやって地図上に原子力発電所の立地地点を描けば、皆さん分かっていただけると思いますが、原子力発電所は、東京、大阪、名古屋という大都会から全部離して建てたのです。

 発電所というのは、電気を使うその場所に建てるのが一番効率的です。送電線も要らない、もちろん送電鉄塔も要らない。送電している間の電気のロスもなくなるということですから、合理性を考えるのであれば、発電所は消費地に建てるということになるわけです。東京電力の火力発電所はほとんど全てが東京湾に建っています。当たり前の選択をしているわけですが、東京電力の原子力発電所は、福島第一、福島第二、柏崎刈羽というところに建てたのです。

 これは次のスライドでも見ていただきますが、東京電力が電気を供給するという責任を負っている地域ではありません。はるか離れたところに原子力発電所を建てて、長い送電線を引いて東京に電気を送るということをやってきたのです。

 でも、これまで57基の原子力発電所が建てられましたが、その原子力発電所が万全だと言ってお墨付きを与えたのは、全て自由民主党という政党が政権を取っていたときでした。そして、こうやって次々と原発を作ったのです。

 電気を使うのはほとんど都会です。でもその都会は、危険は嫌だと言って過疎地に押しつけるという選択をしてきたのです。

  こんな不公平で不公正なことは、ただそれだけの理由でやってはいけないと私は思います。危険を承知で、それでも引き受けるという行為はあると思います。例えば「戦場ジャーナリスト」と呼ばれるような人たちがいますが、そういう人たちは戦争の場所に行くわけです。命を奪われるかもしれないと思いながらその場所に行って事実を集めて、それを人々に伝えようとする。危険を承知で、仕事が大切だと思ってやるという、そういう選択は私はあると思いますけれども、利益だけは自分たちで受けて、危険はほかの人たちに押しつけるという、そんな選択はあり得ないと私は思います。

 何で日本人がそんなことに気がつかないのかとずうっと思ってきましたけれども、残念ながら日本というこの国では、ほとんどの人は気がつかないで、原子力発電所がどんどん建てられていくことを放置する。自由民主党に投票して政権を支えるということをやってきたわけです。

 これは東京電力管内の発電所と送電線の地図です。東京電力が作っている冊子から取ってきたものです。東京電力の火力発電所、この近くの鹿島であるとか常陸那珂にもありますが、ほとんどはみんな東京湾に建てて、電気を送った。しかし、東京電力の原子力発電所は、福島第一、福島第二、柏崎刈羽です。これは東北電力が電気の責任を負っているというところに東京電力が原子力発電所を建てて、長い送電線で東京まで電気を送ってきた、ということをやってきたのです。

 福島の事故が起きたときに、東京電力は、まだ1か所原子力発電所を建てるという計画を持っていました。それは先ほど地図を見ていただいた下北半島の東通です。そこに今、東北電力の原子力発電所が1基ありますが、そこに東京電力が原子力発電所を建てて、長い送電線で東京まで電気を送るという、そんな計画を持っていたのです。

 本当にあり得ないことをこの国はやってきたのだと私は思います。

 あと、皆さんにとって一番問題なのは、常陸那珂の少し北のところにある日本原電という会社。日本で一番初めの東海原子力発電所を作った会社で、その一番初めの東海第一原発は既に廃炉作業に入っていますが、ここに東海第二原子力発電所という巨大な原子力発電所があります。もちろん、福島の事故の後、止まったままですが、それを再稼働させるということを日本原電は言っていますし、つい最近、政権を取った岸田さんは、どんどん原子力の旗を振り始めて、「東海第二も早く再稼働しろ」というようなことで、日本原電にせっついている、そんなことになっているわけです。

 なぜ原子力発電がそれほど事故に弱いのかという、原点の話を聞いていただこうと思います。

 ここに、私は今、四角を書きまして、「熱出力300万キロワット」と書きました。この300万キロワットの熱のうち100万キロワット、33%だけが電気になる。100万キロワットという原子力発電所が今では標準になったと先ほど聞いていただきましたが、その発電所では、実は300万キロワット分の発熱をしているのです、原子炉の中では。ウランを燃やしながら熱を出している。 でも、出した熱のうち3分の1しか電気にならないわけです。残りはどうなっているのかというと、海に捨てるということをやっています。海を暖めている。300万キロワットの熱を出したら、その本体200万キロワット分は、何と、何にも使えないまま、ただただ海に流す。海から見れば猛烈に迷惑なことだと思いますけれども、海へ流すということをやってきました。

 このことをきちんと聞いていただこうと思うと大変な時間がかかりますので、今日は、このあまりにもばかげた話はこれで終わりにさせていただきます。

 では、この300万キロワットという熱が全てウランの核分裂で出ているのかというと、実は違います。ウランの核分裂で出ている熱は279万キロワット分です。では、残りの部分はどうなっているのかというと、この部分は、私たちが「崩壊熱」と呼んでいる熱が発生しています。それは、ここにも書きましたように、炉心にたまっている死の灰自身が出す熱です。

  1つの原子力発電所が1年運転するごとに死の灰が1トン出て、それを原子炉の中にため込みながら運転するというのが原子力発電所なわけです。

 死の灰は放射線をがんがん出していますので、発熱体です。ですから福島の原子炉が熔けてしまうということになったわけですけれども、100万キロワットの原子力発電所の場合、21万キロワット分は、ウランの核分裂ではなくて死の灰自身が出しています。

 車で走っていて「あ、事故になりそうだ」と思えば、皆さんブレーキを踏むと思います。場合によるとエンジンを切るということで、車は容易に止まれます。原子力発電の場合でも、何か事故になりそうだと思ってこのウランの核分裂反応を止めるということは比較的容易です。福島の事故の場合も、この核分裂の反応は止めることができました。でも、この崩壊熱は止められません。そこに死の灰がある限りは出続けるしかないということになってしまうわけです。

 21万キロワットとは、皆さん、どのくらいだと想像できるでしょうか。例えば皆さんの家庭で電熱器とかコンロとかホットプレートとか電気ストーブとかお持ちだろうと思いますが、一言で言ってしまえば1キロワットです。それが、何と21万個も原子力という比較的なコンパクトな場所で発熱をし続ける。そして、どうしようもなく、止めることもできないという熱が続くのです。そのため、福島の事故のときも、なすすべなく、原子炉そのものが熔けてしまうということになりました。

 これが、先ほど写真で見ていただいたボロボロになってしまった建屋の断面図です。ここに炉心というものがあります。この炉心というのは、中央に薬のカプセルのようなものが描いてありますが、私たちが「原子炉圧力容器」と呼んでいる、鋼鉄製の圧力釜の中に納められています。

  圧力釜を皆さん家庭でお使いかもしれませんが、この圧力釜は非常に巨大なものでして、厚さが16センチもあります。高さは20メートルもあるというような巨大な圧力釜です。その中心に炉心というものがあって、中で熱を出して、この圧力容器の中の水を沸騰させて、蒸気をタービンに送って発電するということをやっています。

 ふだんはそれで大きな事故も起きないまま運転されているわけですが、万が一でも事故が起きたらどうするか。放射能が大量にあるわけですから、その放射能を閉じ込めなければいけないということで、ここに、理科の実験で使うフラスコのような容器が書いてあります。これを私たちは「原子炉格納容器」と呼んでいて、万が一の事故のときに放射能を閉じ込めるための最後の防壁として設計されたのがこの原子炉格納容器です。

 放射能を閉じ込めることが目的ですから、もちろん空気が流れ出てもいけないし、もし水であったとしても、水も漏れてはいけないという、そういう容器なはずでした。でも、後から聞いていただきますが、この放射能を閉じ込めるための容器がもうボロボロに破壊されてしまっているのです。

 それからもう一つ、今聞いていただきたいのは、これです。これは私たちが「ペデスタル」と呼んでいますが、台座という意味です。コンクリート製の円筒形をした、コンクリートの壁ですが、その壁の上に原子炉圧力容器が乗っているのです。高さ約10メーターぐらいあるコンクリートの円筒形の壁だと思ってください。

 それから、もう一つ、福島の事故に関して重要なのは、左上の方にある使用済み燃料プールです。原子炉の中でウランを核分裂させていくと、いつの時点かで、もうこれ以上燃やすことができないという状態になってしまいます。それを「使用済み燃料」と私たちは呼ぶわけですが、それは取り出して、隣の使用済み燃料プールの底に沈めておくということで原子力発電所は運転してきました。それだけ頭に入れて、これからの話を聞いてください。

 福島第一原子力発電所の敷地の中は、既にもうすぐ12年という時がたとうとしているわけですが、今でも大変なことがずっと続いています。敷地の中では、私、先ほど原子炉が熔けてしまったと聞いていただきましたけど、熔けてしまった炉心が一体どこにあるのかすら分からないのです、いまだに。人間が行ければいいですけど、人間が行けば即死です。東京電力は、しようがないからロボットを行かせそうとしてきました。

  でも、皆さん意外に思われるかもしれませんが、ロボットというのは被曝に弱いのです。コンピューターで動いていて、コンピューターの命令が書かれているICのチップが被曝をすると命令そのものが書き換わってしまって、すぐに動かなくなってしまうということで、東京電力が原発に取り込もうとしたロボットはほとんど全て討ち死にして戻って来られない。そのため、現場がどうなっているのか、熔け落ちた炉心が今どこにどんな状態であるのか、そのことすら分からないという状態になっています。

 事故を起こしたのが火力発電所なら簡単です。何日間か火事が続くかもしれないけれど、その火事が収まったら現場に行けるのです。どこがどんなふうに壊れたか調べることができるし、修理もできます。再稼働をすることだって容易ですけれども、こと、事故を起こしたのが原子力発電所の場合には、12年たった今も現場に行けない、どうなっているか分からないという状態が続いています。

 でも、熔け落ちた炉心をまた熔かしてしまうと放射能がまた吹き出してきてしまう。何としてもそんなことはさせてはいけないということで、ひたすら水をかけています。もともと炉心というものがあった部分に目がけて水をかけています。今、熔け落ちた炉心はそこにはないのですけれども、でもそこにかければ熔け落ちた炉心のある場所に届いてくれるだろうという期待のもとに、水をひたすらかけ続けるということをやってきました。

 しかし、そんなことをすればかけた水は放射能で汚れてしまう。当たり前のことで、どんどん放射能汚染水が増えて、今や130万トンというほどの大量の放射能汚染水が福島の敷地の中にたまってしまって、もうどうしようもないから、それを海へ流すということを東京電力と国が今言っているところなのです。

 でも、何とか閉じ込めたいということで、先ほど聞いていただいたように、今この時も福島の敷地の中では、3,000人、4,000人の労働者が放射能と戦っています。東京電力の社員ではありません。下請、孫請、またその下請、孫請というように、社会の底辺で危険な作業を一手に引き受けさせられるという労働者たちが、今の瞬間も働いています。12年近くずっと働き続けて、放射能と戦っているという状態にあります。

 敷地の外にも、大量の放射能が吹き出してきて広大な大地を汚染しました。猛烈に汚染されたところは、もちろん人が住んではいけませんから、そこから人々は強制避難させられました。

  強制避難と言って、皆さんお分かりになるでしょうか。

 きょう、皆さん、この集会に来てくださってありがたく私は思いますが、この集会が終われば、皆さん、家に帰るつもりです。あしたは何をしようと頭の中で描いています。来年になったら何ができるかなということだって、多分考えていらっしゃる。でも、福島の人たちは違ったのです。ある日突然、「逃げろ」と言われました。「手荷物だけを持って迎えのバスに乗れ」と言われたのですね。

 皆さんの中で犬や猫を飼っているという方がいらっしゃると思いますけど、犬も猫も捨てて行けと。福島では酪農家がたくさんいて、牛や馬を飼っていました。そういう人たちにとって牛や馬は家族なのです。1頭、1頭、名前がついていたりするのです。そういう牛も馬もみんな捨てて行けと言われて、逃げました。

 生活を根こそぎ破壊されて流浪するという人たちが15万人も超えるほど生まれました。

 でも、汚染は、その人たちが住んでいた場所だけではなくて、後で地図を見ていただきますが、広大な大地が放射能で汚れました。放射能は危険ですから、本当だったら人々が住んではいけないというほどの汚染を広大な地域が受けたのですが、日本の国は、もうどうしようもない、そこにみんな住んでしまえということで、数百万人の人たちがいまだに、本当は住んではいけない場所で、ごくごく普通に生活をするしかないという状態に追い込まれてしまっているわけです。

 そういう人たちの中では、「嫌だ、何とか逃げたい」と思った人ももちろんいます。「子どもをとにかく逃がしたい」と思った人もいます。でも、国はもう「そこに住め」と言っている。「何の補償もしない」と言っているのです。そういうときに自力で逃げようとすれば仕事を失ってしまう場合もあるわけですし、男親が仕事をしながら母親や子どもを逃がしたという家庭もありますが、そうすると今度は家庭が崩壊してしまうのです。

 汚染地に残れば被曝をして体が傷つきますし、それを何とか避けようとして自力で逃げようとすれば生活や家庭が崩壊して心が潰れてしまう。

 でも、何とか逃げたという人はたくさんいるのです。国や自治体がそういう人たちには曲がりなりにも住宅の手当てをする、というようなことも当初はなされました。しかし、住宅の手当ても2017年3月には打ち切られてしまって、そういう人たちはもう何の支援も受けられません。

 福島でたくさんの人が普通に生活しているじゃないか、帰らないというのはわがままだ、もう支援はしない、まだ提供した住居に居続けるというなら家賃の倍額を払えと言って、福島県が被害者を裁判に訴えるというようなことまでこの国では行われるような状況です。

 一度は何とか逃げたけど、もう逃げる力もないという人たちは、今、汚染地に次々と戻らされているという、そういう状態になっています。

 では、福島の敷地の中の話をまず聞いていただきます。炉心が熔け落ちてしまって、その炉心が今どこにあるか分からないという話を先ほど聞いていただきました。国と東京電力は、今はどこにあるか分からない熔け落ちた炉心を、いつの時点かでつかみ出すと言っています。そのためにロードマップ、工程表というのを書きました。どんなふうに書いたかというと、こうです。

 一番左が現況だと。それを順番に作業して右まで持っていくというのが、国と東京電力のロードマップでの主張です。先ほどの原子炉建屋の断面図を思い出していただきたいのですが、この真ん中に原子炉圧力容器があって、炉心自身はこの真ん中にあったはずなのですが、既に熔け落ちて、圧力容器の底、さらにその下のペデスタルの内部に落ちたと国と東京電力が考えて、そういう図を描いているわけです。

 そして、そこに水をどんどんかけていくのですが、いくら水をかけても、もう水はたまりません。先ほど聞いていただいたように、原子炉格納容器は放射能を閉じ込めるための容器ですから水が漏れてはいけないはずなのですけれども、水はもう全然たまらない。つまり壊れている。これが現状だと国と東京電力は言っています。

 ではどうするのかというと、次が真ん中の図です。格納容器の中に水が満水になっているというのは分かっていただけるでしょうか。水色が塗ってありますが、格納容器の中に水をとにかくジャンジャン入れる、満水にすると、国と東京電力は言っているのです。

 でも、今聞いていただいたように、格納容器はもう壊れているから、水を入れてもたまらないのです。水を入れられるようにするためには、どこが壊れているかということをまず探さなければいけません。探した上で、そこを修理しなければいけません。いまだに1か所もそれができていません。12年たっても。

 仮に1か所見つけても、また水を入れれば別のところで漏れると私は思います。その場所を探して、それを修理する。挙げ句の果てに「中央の図の状態まで行くんだ」と国と東京電力は言っているわけですが、私は「まずそんなことできっこない」と言ってきました。

 そして、もしこれをやってしまうと、これ自身が猛烈な脅威です。なぜなら、原子炉格納容器というのは放射能を閉じ込めるための防壁として設計された容器なのであって、水を入れるなんていうことは初めから想定されていないのです。そこに水を満水にするなんていうことをすれば、水の重さで格納容器が壊れるだけだと私は思います。

 でも、何とかできたとすると、次は右の図に行くのですけれども、じゃどうするかというと、一番てっぺんに特殊な工具を設置して、腕をずーっと伸ばしていって、格納容器の床にある熔け落ちた炉心を上につかみ出して、そしてこの図の左上に「燃料デブリ収納缶」と書かれている容器に入れて福島県外に搬出します、というのが国と東電のロードマップなのです。それまで30年から40年かかるけれども、そこまで持っていくと一応の事故の収束だと国は言っています。

 でも、仮に容器に入れてどこかに持ち出したところで放射能が消えるわけではないのです。その放射能は、これから10万年から100万年どこかで保管しなければいけない超危険物として残ってしまう。そういうことになるわけです。途方もなく大変なことです。

 でも、実は、国と東京電力がこのロードマップに書いた作業は全くできません。なぜかというと、このロードマップでは、熔け落ちた炉心は、圧力容器と格納容器の床、ペデスタルの内部にある。だから、上から見れば取り出せるだろうという想定になっているのですけれども、実はこんなところには熔け落ちた炉心はないのです。そのことは既に分かっています。

 2017年2月に、東京電力が熔け落ちた炉心の調査をすることを打ち出しました。私、先ほど、ロボットはだめだという話を聞いていただいた。何ができるかというと、要するに胃カメラです。皆さん、胃カメラをのまれたことがあると思います。このぐらいの細いグニャグニャした先にカメラがついていて、のんだりして胃の中を見るというカメラがあるわけですが、それの長いやつを作って現場まで押し込むことができれば現場の状況を知ることができるだろうと私は言ってきましたし、東京電力もそれをやったのです。

 この図の中央から上にあるのが原子炉圧力容器です。その外側に理科の実験で使うフラスコのような格納容器があります。東京電力の下請の作業員が、ここから胃カメラの長いのを差し込みます。そして圧力容器の真下まで入れることに成功したのです。入れたら、ここは定期検査のときに作業員が作業するための足場というのがあって、私たちは「グレーチング」と呼んでいます。鋼鉄の網のようなものですが、そこまでたどり着いた。そうしたら、その鋼鉄の網が、もう穴が空いてしまっていて、何やらベタベタくっついて、下に落ちてしまっているということが分かりました。

 つまり、熔け落ちた炉心が上から落ちて、鋼鉄を熔かしながら下に落ちたということが分かったのです。でも、この下がどうなっているかということはまだ分かっていないのです。

 そして、この調査のときにとても大切なことが分かりました。カメラと同じ場所に放射線の強さを測る測定器が取り付けてありまして、ずうっと奥まで行って、この場所まで、ペデスタルの内部まで差し込んだところで、1時間当たり20シーベルトという放射線が飛び交っていたと東京電力が公表しました。

 でも、格納容器の壁を越えたところでは1時間当たりもう50シーベルトもあったのです。一番たくさん放射線が飛び交っていたのは格納容器の壁とペデスタルの壁の真ん中です。1時間当たり530シーベルトもあったということがこのときの調査で分かりました。

 つまり、どういうことかというと、熔け落ちた炉心はこんなところにはないのです。もう既にペデスタルの外側に出てしまっている。

 このペデスタルというのは、円筒形のコンクリートの壁だと私は聞いていただきましたが、定期検査のときに作業員がこの中に入るので、実は作業員が入るだけの通路が開いています。その通路から熔け落ちた炉心が既に外側に流れ出してしまっている、こういう状態になっていることが分かっているのです。

 いくら上から見たってこれは見えませんので、国と東京電力がロードマップで言っているような取り出し方は全くできないということは、既に確定してしまっています。

 そこで、国と東京電力はロードマップを書き換えました。どうしたかというと、もうだめだと。格納容器の中に水を入れることもできないだろう。でも、彼らがなぜ格納容器の中に水を入れようとしたかというと、水を入れないと熔け落ちた炉心から放射線がバンバン吹き出してきて、上から中をのぞくこともできない。これでは作業もできないからと言って水を入れようとしたわけですが、それはもうできないと。まずそれをあきらめました。

 圧力様にの底に残っているデブリは取れるかもしれない。でも、格納容器の床に落ち、ペデスタルの外側に出てしまっているものは取れない。いくらやってもこれは取れないです。

 事故から12年たとうとする今も、熔け落ちた炉心がどこにあるかも分からない。格納容器のどこが壊れているのかも分からない。これから30年、40年で取り出すなんていうことは全くできません。100年たってもできないと私は思っています。私は死んでいます。皆さんも死んでいると思います。福島の事故というのは、今生きている人間が全員死んだところで収束できないという、そういう事故が続いているのです。

 では、敷地の外はどうかという話を聞いていただきます。

 福島の事故で放出された放射能がどのくらいだったのかということで、日本政府がIAEA(国際原子力機関)という、原子力を推進する国際的な組織に報告書を出しました。その報告書の中から、大気中に放出したセシウム137の量を今から見ていただきます。

 私は、先ほど、ウランを核分裂させると死の灰ができると聞いていただきました。死の灰というものの正体は、およそ200種類に及ぶ放射性物質の集合体です。そのうちの一つがセシウム137という放射性物質です。そのほか、ストロンチウム90、ヨウ素131、キセノン133、トリチウムというような、様々な名前の放射性物質があるのですが、人間に対して一番危害を加えると私が考えているのが、このセシウム137という放射性物質です。そのため、この放射性物質の量を尺度に、福島事故がどれほどの事故だったかということを聞いていただきます。

 まず、左の下に黄色い四角を書きましたが、これは広島の原爆が炸裂したときにキノコ雲と一緒に大気中にばらまかれたセシウム137の量です。数字で言うと、8.9×1013 ベクレル。放射能の単位はベクレルですので、そうなります。

 しかし、皆さん、そんな数字を聞いてもぴんと来ないと思いますので、この四角の大きさだと思ってください。広島の原爆が放出したセシウム137の量です。

 では、福島の事故でどれだけ放出されたかというと、1号機だけで広島原爆の6発分から7発分。何と言ってもひどかったのは2号機で、大量に放出したのです。3号機もまた放出して、事故当日運転されていたのは1号機、2号機、3号機の3基だったのですが、その3基の合計で、1.5×1016ベクレルのセシウム137を大気中に放出したと日本国政府が言っています。

 この量を広島原爆が放出した量と比べると168発分になります。広島原爆1発の死の灰だって猛烈に恐ろしいものなのに、その168発分をこの事故でもう放出してしまったと、国は言っているわけです。

 大気中に出てきてしまった放射能はどうなるかといえば、風に乗って流れるのですね。東北地方、関東地方の広大なところが放射能で汚れました。どんなふうに汚れたかという地図がこれです。

  この地図は私が作ったのではなくて、これも日本国政府が作った地図です。色で塗り分けてありますし、その色の意味は右の下に数字で書いてあります。

 福島原発から北西に赤、黄、緑の色が塗ってあるところがありますが、それが猛烈に汚染したところだと国が言っています。なぜそんなことになったかというと、南東からの風が吹いていたときに、放射能の雲が北西に流れていった。そして、そのときにこの地域で雨と雪が降ったのです。

 皆さん、ご記憶でしょうか。あの日、すごく寒い日だった。あれからしばらくの間、雨と雪で洗い落とされた放射能がこんなに汚したということで、この赤、黄、緑のところの人たちがほとんど強制的に避難させられた。

 でも、色はもちろん、ほかのところにも塗ってあります。福島県の真ん中を南北に青い帯が縦断しています。ここは「中通り」と私たちが呼んでいるところで、東側には阿武隈山地、西側には青森県から始まった奥羽山脈という強大な山並みがあって、東も西も山で挟まれた平坦地。とても温暖で住みやすいということで、福島県の大きな町はほとんどここの中通りにあったのです。

 北から、伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市というように、たくさんの人がこの中通りに住んでいた。その東と西を山で挟まれた平坦地を放射能の雲がなめるように汚染して作ったのが、この青い色です。その青い色は、栃木県の北にもありますし、群馬県の北にもあります。

 私は、先ほど司会の方が長野から来たと紹介してくださいましたが、今私は長野県に住んでいます。もし放射能の雲が群馬県から長野県に流れ込んでくれば長野県ももちろん汚染されたはずですが、群馬県と長野県の県境には、浅間山をはじめとして結構高い山並みがずらっと連なっていて、流れてきた放射能が山を越えないで、山麓を巻くようにして群馬県の西部を汚しました。埼玉県の西部も汚して、東京の奥多摩も汚しています。

 あと、北の風に乗って、放射能が南へ流れました。福島県の浜通り一帯を猛烈に汚染して、茨城県との県境があるわけですが、放射能から見れば県境なんて全く意味がありませんので易々と県境を乗り越えて、茨城県の北部を汚染しました。そして、茨城県の特に中央の水戸とかそういうところにお住まいの方には幸いだったわけですが、一時的に放射能の雲が海へ流れたようなのです。でも、また茨城県の南部の陸に戻ってきまして、霞ヶ浦周辺を汚染して、千葉県の北部を汚染して、東京の下町を汚染するということになりました。

 この地図を見ていただければ分かっていただけると思いますが、福島県の東半分を中心にして、東北地方と関東地方の広大な地域が汚れたのです。

 そして、この群馬県の西部を汚したと先ほど聞いていただいた、くすんだ緑色ですが、このくすんだ緑色のところは、日本国政府は、1平方メートル当たり30kから60k、セシウムという放射能が降り積もったと言っています。kというのは1,000倍という意味で、30kから60kというのは3万から6万という意味ですが、ここに書きましたように、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているようなものは、放射線管理区域という特殊な場所以外に存在してはいけないというのが日本の法律だったのです。普通の人が生活するような場所にはあってはいけないというのが法律だったわけですが、このくすんだ緑、群馬県の西部、福島県の会津、宮城県の南部、北部、岩手県の南部、茨城県の北部、南部、千葉県の北部、東京の下町のようなところは、既に3万から6万ベクレル汚れているということです。

 つまり、放射線管理区域にしなければいけないというほどの汚染がこんなに広がってしまったということになります。

 日本政府はどうしたかというと、事故当日、「原子力緊急事態宣言」なるものを発令して、今は緊急事態である、法律はもう守らなくてもいい、ということにしてしまいました。そして、赤、黄、緑のところ、ここは1平方メートル当たり60万ベクレルを超えるというところですが、そこからは15万人を超える人々を逃がしたけれども、それ以外のところではみんな人々を棄ててしまうということをやったのです。

 私は先ほど「放射線管理区域」という言葉を使いましたが、その場所といえば、かつての私がそうであったように、放射能を取り扱って仕事をして給料をもらうという、大人だけしか入ってはいけない、普通の皆さんは入ってはいけない、私のような人間は入ってもいいけど、入った途端、もう水を飲むな、食べものも食べるな、そこで寝るな、管理区域にはトイレも作らないぞという、それが放射線管理区域なのですけれども、こんなに広がっているのです。そこに人々を棄てて、そこで人々が普通に生活する。そんなことになってしまって、既に12年間経とうとしてとしている。そんなことになってきたのです。

 皆さんもそうかもしれませんが、ほとんどの日本人は既に忘れさせられてしまっています。原子力緊急事態宣言はまだ続いているのです。今、日本中がCOVID-19というウイルスが怖いので、一時期、緊急事態宣言なるものが出されたこともあるわけですが、既に解除されてありません。ウイルスはまだ蔓延していますが、もう日本の国のほうは「そんなこと知らないよ」と言って知らん顔をしているわけです。

  でも、福島事故で発令された原子力緊急事態宣言は、今でも続いているのです。一度も解除されないまま今日まで続いている、という状態になってしまっています。 そういう中で私たちは生活して、生きています。

 でも、生き物ってとっても私は不思議だと思うのですけれども、私は今ここで話をして、皆さんはそちらで話を聞いてくださっている。誰一人として同じ人間はいないですよね。日本人1億二千数百万人、みんな違う人間だし、世界では今80億人に達したところですが、全て違う人間です。一人一人、個性を持った、ほかの誰でもない、かけがえのない命なのですね。

 どうしてそんなことになるかというと、初めはたった1つの万能細胞でした。父親と母親から遺伝情報をもらって、精子と卵子が結合して命が始まるわけです。DNAというものに書き込まれた情報をもらって、私なら私ができる、皆さんなら皆さんができるということになっているわけです。

 その万能細胞は、次々と細胞分裂を繰り返しながら、DNAを正確に正確に、一つも間違えのないように複製していくという、信じられないようなことを命はやっていくわけです。

 一体、DNAはどんなにふうになっているかというと、これが細胞ですけれども、細胞の中に核というのがあって、核の中に染色体というものが含まれている。アルファベットのXのような形のものが描いてありますが、染色体というのが入っている。何か糸をグジャグジャと固めたもののように見えると思いますが、この端をつまんでズルズルと引っ張ってくると糸のようなものがずーっと出てくるというのですね。その糸は、実はゲノムの糸がねじり合って1つの糸になっている。これがDNAというものです。

 いろんな化学結合でこのDNAというのができてきて、どういう場所にどういう化学結合の物質があるかということで、遺伝情報が決まるということになっているわけです。

 その遺伝情報を正確に正確に複製すると私はさっき皆さんに聞いていただいたわけですけれども、そこに放射線が飛び込んでくるということになるとどういうことになるでしょうか。

 今聞いていただいたように、DNAを含めて、全ては、水素、酸素、炭素、リンとかいう原子自身がお互いに手をつなぎ合って1つの情報を作るということになっているわけですけれども、そういうときに手をつなぐための力は、私たちはeVという単位を使うのですが、エレクトロンボルトという非常に微小な力です。皆さんの生活の中では全く関係ないような微小なエネルギーです。そういうエネルギーでお互いに原子が手をつなぎ合って、私なら私という生き物を作って維持してきたのです。

 でも、私の体に例えば放射線が飛び込んでくるというと、その放射線のエネルギーはどうなるかというと、例えば皆さんが病院でX線撮影を受けるというときの放射線のエネルギーは10万エレクトロンボルトです。つまり、私たちの分子結合のエネルギーに比べると数万倍も大きいのです。

 X線撮影は便利です。私の胸部レントゲン撮影なんてやれば、私の胸のどこに肺がんがあるとか、あるいは骨が折れているというようなことが手に取るように見えてしまうわけですから、医者は便利なので多用します。最近、病院に行くと、医者が顔を見る前にまずレントゲンと言われるぐらいに便利なので、私たちはそれをやらされるわけですけれども、それをやった途端に、私なら私の体の遺伝情報がズタズタにされていくということになっているわけです。

 先ほど聞いていただいたセシウム137というのは、ガンマー線という放射線を出しますが、そのエネルギーは66万1,000エレクトロンボルトです。つまり、私なら私の遺伝情報をつかさどっているDNAが成り立っているエネルギーのレベルから比べれば、数十万倍というような猛烈なエネルギーの固まりが飛び込んできて、DNAを切断していくというようなことになってしまうわけです。

 茨城県では、東海村の原発もありますし、様々な原子力施設があります。核燃料を作る工場もあって、1999年9月30日にJCOという工場で臨界事故という特殊な事故が起こりました。皆さん、まだご記憶かもしれませんけれども、2人の労働者が筆舌に尽くしがたい苦難のもとに死んでいきました。

 一体、人間ってどれだけ被曝をすれば死んでしまうのかというのは、これまでの被曝の歴史でかなりのことが分かっています。

 左端に赤い帯を描いていますが、これを使って説明したいと思います。

 下のほうから、2、3、4、5、6、7、8と書いてありますが、これは全身被曝線量。被曝の単位はグレイです。そのほかシーベルトという単位もあるのですが、一番基本的なのはグレイです。そのためにグレイという単位で見ていただきます。

 赤い帯が一番下の2という数字のところで始まって、3、4、5と行くに従ってだんだん帯の太さが長くなって、8まで書いてあります。この図をどうやって見るかというと、2グレイという被曝をすると人が死に始める。もっと被曝をして4グレイになると、私たちは「半致死線量」と呼んでいますが、半分の人は死んでいきます。

 それ以降、被曝をすると、ずーっと帯が太くなっていって、8グレイ被曝すると100%が死にます。

 というのがこれまでの被曝の歴史の中で分かってきたことです。2グレイで死に始めて、8グレイの被曝をしたら、もう人間は助からない。みんな死ぬということが分かっています。

 では、このグレイと書いている単位で今私は聞いていただいたわけですが、これは皆さん、全然ぴんと来ないと思います。そこで私は、皆さんがぴんと来る単位に換算しようと思いました。

 放射線というのはエネルギーの固まりです。さっき見ていただいたように、分子結合のエネルギーに比べると数万倍、数十万倍高いエネルギーの固まりなのですけど、それを受けて、一体、人間の体温がどれだけ上昇するのかというと、半致死線量4グレイのときに人間の体温は1,000分の1℃しか上がらないのです。

 皆さんが風邪を引く、あるいはCOVID-19に感染したといえば、体温が何℃も上がるわけですね。COVID-19で時には死んでしまう人もいるわけですけど、大抵は死にません。風邪引きぐらいでは死なないけれども、被曝をすると、1,000分の1℃も上がると2人に1人は死んでいきます。8グレイの被曝、つまり体温を1,000分の2℃上げると、もう完璧に人間は死んでしまうのです。

 先ほど聞いていただいたJCOの事故のとき、大内さんと篠原さんという人が亡くなりました。彼らは、18グレイとか10グレイというぐらいの被曝をしたと考えられています。それだけの被曝だったのに、彼らは全身が大やけどだったのです。体の見えるところはもうボロボロです、やけどで。表面だけがやけどなのではなく、体の中も全部やけどしているという状態で彼らは死んでいったのですけれども、彼らだって、体温の上昇で言えば1,000分の数℃上がっただけなのです。やけどをするなんていうことは到底想像もできないようなエネルギーだったのですけれども、どうしようもなく悲惨な死を遂げるということになりました。

 これは人間の染色体です。私なら私の細胞から染色体を取り出すとこんなふうに並んで見ることができる。長いものもあるし短いものもある。2つ対になって、ちゃんと並べることができるということが全部分かっているわけですけれども、JCOで被曝した大内さんの場合はどうだったかというと、こうです。

 もう染色体がばらばらになってしまっていて、並べることすらできないという状態になってしまっています。放射線のエネルギーというのは、染色体を作っている、DNAを作っているエネルギーに比べてあまりにも巨大過ぎて、もう染色体そのものが形をなさないということになってしまって、彼は死んでいったわけです。

 たくさん被曝をするとこういうことになります。では、2グレイ以下の被曝なら大丈夫なのかというと、もちろんそんなことはありません。放射線のエネルギーが巨大過ぎるわけですから、DNAが破壊されに、切断されるということはもちろん起きるわけです。それが死というところまで行かないにしても破壊自身は起きているわけです。その傷はいずれ、がんや白血病になって人を殺すということが、これも長い放射線研究の歴史の中で分かってきました。

 たくさん被曝をすれば人は死ぬけれども、被曝の量が少しだとしても、いずれがんで死ぬということが、研究をすればするだけ分かってきた。

 では、一体どのくらい危険なのかということを、今から見ていただこうと思います。

  放射線がん死の年齢依存性というものを見ていただきます。放射線に被曝していずれがんで殺されるのだけど、その殺される危険が年齢ごとにどのぐらい違うかというデータを書こうと思っています。ちゃんと説明を聞いていただこうと思うととても時間がかかってしまいますので、ごくごくはしょって聞いていただきます。

 真ん中に赤い帯をつけました。これは被曝をした人が30歳だとすると、いずれがんで殺される可能性がどれだけあるかということを、帯の高さで示したものです。

 これは、全年齢を平均したときの危険度とほぼ等しいです。今日この会場に30歳ぐらいの方は少ないですけれども、何人かいらっしゃるかもしれませんが、そういう方は、自分は人間として平均的な被曝危険度を持っていると思ってください。

 そして、人間は、年を取れば取るだけ被曝に鈍感になっていきます。50歳、55歳にもなれば、もう帯の高さが見えないぐらいです。平均的な被曝危険度に比べれば、70分の1、80分の1ぐらい危険度が少なくなっています。

 何でそんなことになるかということですが、例えば今、私が被曝したと想像してください。私の体の中のどこかの細胞が被曝をしてDNAに傷がついて、いずれがんになる。でも、その傷が大きくなって私をがんで殺すまでには、何度も何度も細胞分裂してその傷を複製していかなければいけないのです。でも、もう私ぐらいの年になると細胞分裂なんかしないのです。背も高くならなければ大きくもならない。血液はもちろん今でも作っていますけれども、いわゆる肉体的にはほとんど細胞分裂をしない年になっているわけです。

 ですから、仮に私の細胞のどこかががんになる運命づけを与えられても、私のその細胞が大きくなって殺されるまでには長い時間がかかります。でも、それより前に私は死んでしまうわけです。そうなれば被曝をしてがんで殺されるということではないということになって、年を取れば取るだけ細胞分裂の活発度が減ってきますので、被曝によって殺されえる危険度は減っていきます。

 逆に若い人は大変です。ゼロ歳であれば、平均的な危険度の4倍、5倍というような危険を負わされてしまうわけです。0歳、5歳、10歳というように、毎日見ていておもしろいように成長していく、つまり、細胞分裂を繰り返して大きくなっていくという子どもたちが、被曝の危険を一気に負わされてしまうということになるわけです。

 今日この会場に来てくださっている方は、12年近くたとうとしている今も福島の事故を忘れないで来てくださっている皆さんですので、大変ありがたい皆さんだと思いますし、感謝申し上げたいと思います。でも、その皆さんにしても、福島の事故が起きるまでは原子力発電に対して大きな注意を払わなかった方々だと思います。そのため、福島の事故については、皆さんにも何がしかの責任はあったはずだと思いますけれども、子どもたちには何の責任もない。でも、子どもたちがこれから被曝のリスクを負わされてしまうということになります。

 被曝の危険度について、先ほどは死亡のリスクを見ていただきましたが、とにかく危険だということは研究が進めば進むだけ分かってきました。だから、放射線を法律的に規制しなければいけないということになってきたわけです。

 一体どんなふうにそれが変わってきたかというのを1枚の図で今から申し上げます。

 左のほうに1900年、右のほうに2000年があって、これが西暦です。人間が放射線というものがあることを知ったのは1895年です。ドイツのレントゲンという物理学者が、偶然、X線という放射線を発見しました。それ以後、「放射線とは何なのか」ということで、たくさんの学者がその正体を突き止めるための研究を始めました。

  皆さん、キュリー夫妻をご存じだと思います。大変優秀な学者で、そういう研究に従事しました。でも、非常に優秀だったけれども、彼らは放射線が何だか知らないから研究した。つまり、どれだけ危険があるかを知らないまま研究しました。

 キュリー夫妻の夫はピエールと言いましたけど、ピエールは被曝を繰り返して、体がぼろぼろになって、ある日、ヨタヨタッと道路に倒れるように出て行って、馬車にはねられて死んだのです。マリー・キュリーのほうは、白血病になって死にました。

 たくさんの人たちが死んだのですけれど、危険度が分かりませんでした。一体どのくらい規制すればいいかというと、この黒丸を打ったところです。

 この図の縦軸は、下の方から0.01、0.1と始まって、上の方が1万、10万ですから、1段ごとに10倍ずつ増えていくという非常に特殊な図ですが、放射線が何だか分からなかった頃は、とにかく途方もない被曝が許されていて、被曝をして人が死んでいくという時代があったのです。

 でも、10年、20年たつと、これはあまりに危ない、もっと注意をしなければいけないということで、1桁も2桁もいわゆる許容量というのが減らされました。

  その後も、研究を続けていくと、どんどん放射線というのは危険だということが分かってきました。特に1945年には原爆があって、被爆者の人たちがいろんな症状を負うということが分かってきた。やがて、がんや白血病が出るということが分かってきたわけですけれども、その頃からも許容量がどんどん下げられていくという歴史をたどりました。

 そして、この黒丸は職業人の基準ですが、一般の人だってちゃんと守らなければいけないということで、1960年になる前に一般の人々の許容量というのも決められるようになりました。

  その後もどんどん許容量というのは変わっていって、こんなところまで減ってきたのです。分かっていただけると思いますが、もう一方的に、歴史が過ぎて、放射線の危険度が明らかになればなるだけ、被曝は危険だということで、許容量が減ってきた。

 今、ここのところに赤い丸印がありますが、ここは1です。つまり、1年間に1ミリシーベルトを普通の人の許容量にすべきだということが、ずうっと長い放射線被曝の研究で分かってきて、これ以上は被曝させてはいけないということになったので、日本の法律もここまでになりました。

 職業人、私もかつてそうでしたけど、「そういうやつは給料をもらっているんだからもう少し被曝してもいい。1年間に20ミリシーベルトまでは我慢しろ」というのが国際的な基準です。

  でも、福島の事故が起きました。日本の政府は何をしたかというと、いきなり、普通の人々も1年間に20ミリシーベルトまでは我慢させると言い出したのです。

 子どもは被曝に大変敏感なのです。おまけに、給料をもらうわけでもないのです。福島事故に対しての責任もないのです。そういう子どもたちに対しても、20ミリシーベルト被曝してもいいというようなことを、今、日本の国が言っている。そういう状態です。

 それでは被曝するとどうなるかということを1つの表にまとめたのが、これです。「平常時」と書きましたが、福島の事故が起きる前、一般の人々は1年間に1ミリシーベルトが基準でした。私のような人間は「1年間に20ミリシーベルトまでは我慢しろ」と言われていました。

  これも危険がないわけではないのです。でも、この社会で生きていくために何がしかの被曝は仕方がないだろう、受け入れるしかないだろうとして決められたのがこれであって、どのくらいの危険度かというと、1ミリシーベルトの被曝をすると、2,500人に1人はがんで死ぬというぐらいの危険度です。逆に言えば、2,499人は被害を受けないからいいだろうということです。そういう基準です。

 福島の事故が起きてどう変わったかというと、原発事故の収束のために働いた労働者だけは、1回の作業で250ミリシーベルトまで我慢させるということが事故直後ありました。猛烈な被曝を我慢してでも事故を収束させなければいけないということで、こういう基準が作られました。その場合には10人に1人は死んでしまうぐらいの猛烈な危険です。

 そして、今聞いていただいたように、今現在、日本の国は、「1年間に20ミリシーベルトまでは我慢しろ」と言っているのです。赤ん坊もそれを我慢しろと言われています。もし赤ん坊だったらどうかといえば、31人に1人の赤ん坊がいずれがんで死ぬというぐらいの危険を負わされるということになってしまいました。

 こんな危険、私は到底、我慢できないです。でも、日本の政府は「我慢しろ」と言っているのが今です。

 これは柚子ミサトさんというイラストレーターが描いてくれたイラストで、「赤いつぶつぶのイラスト」と私たちは呼んでいます。赤い粒々が放射能の汚染を示しています。

 先ほど、日本政府が作った汚染地図を見ていただいたように、東北地方、関東地方の広大な地域が、放射線管理区域に指定しなければいけないほど大地が汚れているのです。風評で汚れているのではありません。事実として汚れているのです。普通の人は入ってはいけない。私のような人間でも「入ったら水すら飲むな」というほどに汚れているのです。

 そこに子どもたちが棄てられて、水を飲む、食べものを食べる、学校に行く、そこで寝るという生活を毎日させられてしまっているということなのです。

 幸か不幸か、放射能というのは五感で感じられません。においもないし、目にも見えない。注意もできないまま、たくさんの子どもを含めた人々が被曝をさせ続けられているというのが今現在です。

 こういう中で生活すると、人間の体だってもちろん汚れます。人間は自然の中で生きているわけで、自然が汚れてしまっているのに人間だけがきれいでいられるわけがないので、放射能を必ず体の中に取り込んでいます。

 取り込んだ放射能はどこに行くのかという、ポンチ絵のようなものですが、放射能がそれぞれの性質で、肝臓にたまるのも、骨にたまるのも、筋肉に行くのも、いろいろあるでしょうということなのですけれども、これからちょっとだけ聞いていただくのは、甲状腺というものがあって、そこにはヨウ素という放射能が選択的にたまるということが分かっています。喉の両側にあるのですが、非常に小さな臓器です。人間のホルモンを作り出していくということで、この臓器がやられると人間は生きることができないわけですが、ヨウ素はほとんど全てが甲状腺に集まってくるということが分かっています。

 人間は、今聞いていただいたように、ホルモンを合成するために甲状腺にヨウ素を集めます。環境にはヨウ素というのはたくさんはないわけですが、食事をして取り込んだ場合には甲状腺に集めるという生き物です。そして自然にあるヨウ素、例えば昆布の中に入っていたりして、そういうヨウ素は質量数が127という数字で表されているのですが、それは放射能を持たないのです。だから、人間がヨウ素をいくら甲状腺に集めても何の危険もなくて、人間は生きてこられたのです。

 でも、原子炉を動かすと質量数で131というヨウ素が大量に生み出されて、それが放射能を持っています。そして、事故になると、それが大気中に吹き出すことになるわけです。

 大気中に吹き出してきてしまったヨウ素があると、人間からは127のヨウ素も131のヨウ素も区別できませんので、「あ、ヨウ素だ」と言って取り込んでしまうということになります。

 皆さん、「ヨードチンキ」ってご存じですよね。「ヨーチン、ヨーチン」と呼ばれるものです。あれはヨウ素が入っている薬ですが、ヨーチンのふたを開けておくと、すぐに気化して効力がなくなってしまいます。ヨウ素というのは空気中に揮発しやすい物質で、原子力発電所で生み出されたヨウ素も、事故に遭うと大量に吹き出していってしまうという性質を持っています。

 そして、吹き出してきてしまった。先ほど、北西に放射能の雲が流れて、雨と雪で洗い落とされて被曝をしたということを聞いていただきましたが、そうやって流れてきてしまえば人間はそれを体の中に取り込んでしまうということはもう避けられない。そして、甲状腺に蓄積をしていくということになります。

 どうしたらそれを避けることができるかということで、放射能のヨウ素が風に乗って流れてきて、それを呼吸で吸い込む前に、127番のヨウ素を含んでいる安定ヨウ素剤を体に入れて甲状腺の中をヨウ素で満員にしておく。そういうことができるならば、仮に放射能を持ったヨウ素が流れてきても甲状腺に集めないで済む。

だから、放射性ヨウ素が風で流れてくる前に安定ヨウ素を飲んでおかなければいけないということが分かっていたのです。ですから、原子力発電所の事故が起きたら一刻も早く、特に子どもたちを中心に安定ヨウ素剤を飲ませようということになっていたのです。

仮に手遅れになっても、後でもヨウ素剤を飲ませれば多少役には立つということも分かっていました。どのくらいかというと、流れてきて、それを吸い込んでしまう前、1日前からそのときまでに飲んでおけば90%ブロックすることができると。「ああ、入ってきた」と気がついてから2時間後までに飲めば80%はブロックできるということも分かっていた。でも、1日も遅れてしまえばもうほとんどだめだということも分かっていた。つまり、安定ヨウ素剤というのは、事故があったと分かったら即座にでも子どもたちに飲ませなければいけないというものだったわけです。

でも、残念ながら、この日本という国は何もしませんでした。子どもたちはそのまま被曝をして、甲状腺も被曝をしていくということに残念ながらなってしまいました。

その結果、どうなったといえば、甲状腺に集まった放射能のヨウ素が甲状腺を被曝させるわけで、子どもの甲状腺にがんが発生するということは、既に1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の事故のときに事実として分かっていました。福島だってきっと出るだろうということで福島県県民健康調査という調査が行われて、現在までその調査は続いています。

従来、子どもの甲状腺がんは100万人に1人か2人しか出ないと考えられていました。医学的な知識では、非常にまれだった。子どもの甲状腺がんなんてほとんどないと医者はみんな思っていたのです。

では、健康調査をやってどうだったかというと、健康調査は、2011年から14年とか、本格調査は14年から16年とか、ずうっと調査をしていて、何人受診したかというと、30万とか27万とか、たくさんの子どもたちが受診してきたのです。

その結果どうなったかというと、悪性ないし悪性疑い、要するにがんですけれども、それが何と既に10万人当たりで118人もいた。これはそれぞれの検査のときで、38.6人のときもあるし、9.3人のときもあるけれども、10万人当たりこういう数字なのです。もともとは100万人当たり1人か2人だと考えていたのに、もう膨大な子どもたちが甲状腺がんにかかっているということが次々と分かってきました。

 

先ほど、聞いていただきましたが、3月11日の夜、「原子力緊急事態宣言」が発令されて、法令はもう反故にされました。そして、一般の人々は、もともとは1ミリシーベルトという被曝の限度が、20ミリシーベルトまでさせられてしまったのです。

被曝は微量でも必ず危険を伴います。1年間に20ミリシーベルトの被曝を強制させられている人々。子どもたちもそうですが、そんなときにはたくさんの被害が出るはずだと思います。

特に事故直後は放射線モニタリング体制が崩壊してしまっていたのです。一体どれだけの放射能が、どっちへどれだけ流れたかも分からない状況でした。ほとんどが被曝に関するデータがないまま被曝をさせられてきて、そして今、子どもたちにがんがたくさん出ているという状態になっている。

それに対して国や東京電力は何と言っているかというと、こんなことを言っています。「スクリーニング効果だ」と。「スクリーニング効果というのは、どれだけちゃんと子どもたちを調べたかということなんだ。従来は、子どもの甲状腺がんなんて少ないからほとんど調べもしなかったから、100万人に1人か2人だと思っていた。でも、今回はたくさんの子どもたちをきちっと調べたから見つけてしまったんだ」と、国と東京電力は言っていて、被曝のせいではないと。「余計なことを調べてしまったんだ」と国は言っているわけです。

でも、科学というのは何なのかというと、ちゃんと調べて分かったことは分かったと、調べてみて、分からないものは分からないというのが科学というものなのです。「これまでちゃんと調べたことがない」と言うなら、「これからちゃんと調べます」と言うのが科学的な態度であるわけです。それなのに国は、「いやあ、前はやらなかっただけなんだよ。もう関係ないから調査をやめてしまおう」というようなことを今やろうとしています。

およそ、この国というのは、科学というものが分かっていない国だと私は思います。これから時がたつに従って、子どもたちのがん、あるいはそのほかの様々な病気というものが福島の被曝した人たちに出てくるだろうと、私は心配しています。

一体こういう状態が何年続くのかということですけれども、もう一度、国が作った汚染地図を見ていただきます。

これはかなり拡大していて、ここが福島の第一原子力発電所です。20キロ、30キロ、60キロ、100キロというぐらいの範囲で書いています。赤と緑のところが猛烈に汚染したところですが、この地図は先ほどの地図とちょっと違っていて、セシウム137という放射能だけの汚染度を取り出してきました。先ほど見ていただいたのは、セシウム137のほかにセシウム134という放射能があるのですが、それも合算した値でした。

セシウム134というのは、2年たつと半分に減っていきます。ですから、もう12年たっているわけですから、半分の半分、つまり4分の1。そのまた半分、8分の1。16分の1、32分の1というように、どんどん減ってくれているのです。

でも、このセシウム137というのは、半分に減るまで30年かかります。100年たつとようやく10分の1に減るという放射性物質です。これが事故直後のセシウム137の汚染地図です。100年たったら10分の1になると考えてください。

管理区域の基準は1平方メートル当たり40キロベクレル、4万ベクレルです。ここに数字が書いてあるのですが、緑のところは600kから1,000k、黄色は1,000kから3,000k、赤のところは3,000k以上だというのがこれですが、この600kというのが例えば10分の1になって60kになったとしても、管理区域の基準を超えているのです。

つまり、100年たったところで、赤、黄、緑を塗ったこういう場所というのは放射線管理区域の基準以上に汚れ続けるということなのです。

私、先ほど、福島原発の中で、100年たっても熔け落ちた炉心の回収なんてできないと皆さんに聞いていただいて、「私は死んでしまっている」と聞いていただいたわけですけれど、汚染は100年たっても消えないのです。みんな、今生きている日本人が全員死んでも、福島県のこういうところでは放射線管理区域にしなければいけないところが広大に残ってしまう。そういう事故が今続いているということです。

先ほどから聞いていただきました。日本では、一般人には1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をさせてはいけないという法律がありましたが、もうそれは反故にされて、今は20ミリシーベルトまで上げられてしまっています。放射線管理区域から何か物を持ち出すときには、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えているようなものはどんなものでも持ち出してはならないという法律があったのですけれど、先ほど地図で見ていただいたように、もう広大な環境がその基準を超えて汚れているのです。

私の実験道具が汚れたとか、そんなこととは違う。大地がみんな管理区域の基準を超えて汚れていることになっていて、そこで普通の人々が普通に生活することを強いられているという状態になっています。

こんな悲惨な事故を引き起こした責任は一体誰にあるのか。直接的には東京電力です。東京電力の原子力発電所ですから東京電力です。でも、日本では、原子力発電というのは「国策・民営」と言われてきました。国が全部レールを敷いたのです。その上を電力会社に走らせたのです。一番責任があるのは国だと私は思います。責任どころじゃない。私は犯罪だと思っていますけれども、その政府が、今、緊急事態を理由にして特別措置法を乱発して、被曝をさせ続けるということをやっています。

今聞いていただいたように、大地を汚している一番の放射能はセシウム137で、100年たっても10分の1にしかならない。100年たっても、日本というこの国は原子力緊急事態宣言下であり続けるということなのです。

この日本という国が原子力平和利用という夢をばらまきました。それだけでやるのはなかなか難しいので、原子力損害賠償法とか電気事業法とか、とにかく原子力発電をやればもうかるぞという法律を山ほど作って、電力会社を原子力発電に引きずり込んだのです。その周辺には、三菱、日立、東芝など巨大原子力産業が金もうけをしようと集まってきました。そのほか、ゼネコン、中小零細企業、そこで働く労働者、組合、マスコミ、裁判所、学界、全てが一体となって、「原子力ムラ」と呼ばれる巨大な権力組織を作りました。

まさに戦争のときと一緒でした。反対する者なんて全く許さないというふうにして、日本では原子力が進められてきたのです。そして福島の事故が起きたのですけれども、原子力ムラの誰一人として責任を取っていない。東京電力の会長、社長以外、誰も責任を取らない。57基の原発に全て安全のお墨付きを与えた自由民主党の政治家も誰も責任を取らない。「安全だ」と言ってお墨付きを与えた学者も責任を取らない。「安全だ、安全だ」と言って宣伝をしてきた新聞、マスコミも責任を取らない。誰も責任を取らない状態です。

私は気がつきました。彼らは犯罪者だ、原子力マフィアと呼ぼうということにして、それ以降、私は「原子力マフィア」と呼ぶようになりました。

何で彼らが無傷のまま責任を取らないで済むかといえば、これも戦争のときと一緒です。権力犯罪というのは、より巨大な権力によってしか処罰されないのです。日本は米国に負けた。米国が、だから日本を処罰するということが行われたわけですけれども、それ以外、権力犯罪は全てが免罪されるということが戦争という経験でも分かりました。

福島事故の後、原子力マフィアは教育とマスコミを支配して、福島事故をとにかく忘れさせてしまおうという作戦に出ている。マスコミがほとんど報じなくなりました。学校では子どもたちに「被曝なんか怖くないよと言って教育しろ」と言って、「放射線副読本」というのを配って、教育現場を支配しています。

「もう仕方がないんだ、被曝はあきらめろ」と。「既に汚染があるんだから、もうどうしようもないから、あきらめろ」と言って、住民をあきらめさせようと、ずうっと今回もやってきたし、住民はもう疲れ果てているという状態になっています。

これは柚木ミサトさんのイラストですけれども、先ほども私は聞いていただきましたが、日本人である限り、大人でも何がしかの責任はあるはずだと思っています。でも、子どもたちには責任がないし、被曝に対するリスクが大変高いので、仮に自分たちが放射能を浴びて被曝をしても、子どもたちだけは守らなければいけないということが、今、私たち日本に住んでいる大人の責任だと私は思っています。

せっかくこの会場に来てくださった皆さんにこんなことを押しつけるのはとても申し訳ありませんが、でも、それほど大変なことが今続いているんだということだけは分かっていただきたいと思います。

これで終わりにします。ありがとうございました。(拍手)

○司会 では、質疑応答ということで、本当だったらあらかじめ皆さんから質問表とかを出していただいておけばよかったのですが、何しろ人手不足でやっていますので、ぜひ気楽にやりたいと思いますので、どうぞ。

○質問 今日はどうもありがとうございます。私は石岡のほうから来た者ですが、「原発要らない抗議アクション」というのを17年から、今、もう回数は分からないぐらいやって、大体500回ということで、東京の抗議アクションの方に励まされて、我々もやっているものなのですが。

それで一つ聞きたいのは、東海第二原発は被災原発と言われますが、それが東京では一番危ないと。私は別に勉強家じゃないので、抗議アクションのときは、大人だから責任があるだろうと、小出さんの真似をして、「分からないなんて言ってるんじゃない」ということで。

今後、原発の事故が起きたら日本はおしまいだということを主張して、命懸けの電気は要らないということで、この3つぐらいで頑張っているのですが。

被災原発ということで、今度稼働したときに最悪の事態、どういうふうな被災をしていくのか、もし分かれば。

それから、政変はもうないという形で進められているのか。私は建設業のほうをやっているもので、ほとんど勉強していないので、よろしくお願いします。

○小出 東海第二原発は危ないと思います。老朽化している。福島原発も事故を起こした2011年に、ちょうど40年という年月を越えて事故になりました。東海第二原発もたしか40年を超えている原発ですから、もうそれだけで危ないし、止めなければいけないと思います。

ただし、原発というのは、40年たったから危ないのではなくて、初めから危ないのです。今日聞いていただいたように、技術としては根本的にもうどうしようもない欠陥を抱えたものですので、老朽化していない原発も止めなければいけないと私は思っています。

では、東海第二で事故が起きたらどうなるかということですが、福島の事故で、今日私は広島原爆の168発分が大気中に出てきて、東北地方、関東地方の広大なところを汚したと聞いていただいたわけですけれども、福島原発の1号機、2号機、3号機の原子炉の中には合計で7,900発分あったのです。そのうちの168発分、つまり、2%ぐらいしか出なかったのです。

福島の敷地から飛び出してきたわけですが、福島の敷地は太平洋に面しているのですね。東側は全部海だし、西側だけに陸があった。そして、この日本という国は北半球の温帯にあって、標高の高いところへ行くと偏西風という猛烈に強い西風が吹いているのです。そのため、福島の原発から吹き出してきた放射能の8割は太平洋に流れたと私は思っています。

ですから、出てきた部分の20%だけが日本の国土に降った。2%だけが吹き出してきて、そのうちの20%が日本の国土に降って、今のようなことになった。つまり、全体で言えば、炉心の中にあったもののうちの0.4%なのです。

もし、次に本当に恐れているような事故が起きるとすれば、炉心にあったもののほとんどが出ることだって、事故としては想定できるわけです。そんなことになったら、本当に悲惨なことになると私は思います。

ですから、今、次の事故が起きたらもう終わりだというふうにおっしゃいました。そうだと私は思います。

ただ、もう一つ私には危惧があって、次にまた事故が起きて、福島のような悲惨な被害を周辺の人たちが受けるというようなことになっても、多くの日本人はすぐに忘れさせられてしまうのではないかと。福島の事故さえ、ほとんどの日本人は忘れさせられてしまっているわけですから、仮に次の事故が起きてもまた忘れさせられてしまうのではないか。私はむしろそちらを心配しています。

でも、いずれにしても、原発の事故なんて本当に起こしてはいけないことなわけですから、何としても止めたいと思います。特に東海第二の場合には、もちろん皆さんのほうが私よりご存じだと思いますが、30キロ圏内に94万人住んでいるということで、避難なんかできるはずがないです。

福島の事故が起きて以降、日本の国は原子力政策を少し変えたのです。これまでのように事故が絶対に起きないというような規制の仕方はやっぱりまずかったということで、それまでの原子力安全委員会という組織をやめて、原子力規制委員会という委員会を新たに作って、そして原子炉を規制するためにも新規制基準というのを作って、今までよりは厳しく規制するから安全なんだというような装いを作ろうとしているわけです。

でも、福島の事故は、予想を超えて事故は起きるんだ。だから事故と呼ばれるんだと。国にしても東京電力にしても「想定外」という言葉で今逃れようとしているわけで、もちろんそういうことは必ずあるわけですから、想定外の事故が起きたときに何が大切かといえば、住民をどうやったら避難させることができるかということなのです。

つまり、避難計画がちゃんとできるかどうかということなわけですけれども、茨城県があれこれやろうとしてきたわけですね。東海村の人たちはどこへ行きます、水戸の人たちはどこへ行きます、というような計画を立てようとしてきたわけですけれども、立てた計画では、逃げた場所、例えば平らなところに人々を避難させるわけですけれども、避難のスペースは、1人当たり2平方メートル、縦・横1メートルと2メートルで、畳1畳分に一人ひとりの人間をとにかく押し込めるという、そんな計画だった。それで、ようやく計画を作ろうと茨城県はしたわけですけれども、そんなので逃げられるわけないので、どうやって避難計画を立てることができるかも分からない。

だから、皆さんのほうがこれもご存じだと思いますが、水戸地方裁判所で、避難計画がだめだと。今までやろうとしていることもみんなでたらめだから、東海第二原発は動かしてはならないという判決を出したわけですね。去年の初めだったでしょうか。

でも、そんな判決を受けても国や原電のほうは知らん顔をして、今、着々と再稼働の準備を進めているわけです。地裁で負けたけど高裁では勝てるかもしれない、そこで負けてもまた最高裁まで行けば多分、必ず勝てると彼らは思っているだろうと思いますし、どんなでたらめでも避難計画を作るんだと。机上の作文を作って進めていこうとしているんだと私には見えます。

でもそんなこと、本当の事故になってしまったら、皆さん、住民の人たちが一番に被害を被るわけですから、まずは稼働させないということで、これからもお力を貸していただければと思います。ぜひよろしくお願いします。(拍手)

○質問 小出さん、ありがとうございました。汚染水についての質問です。

福島で汚染水を放出したいらしいのですけれども、どれくらい危険なのでしょうか。

それと、それを止めるためには市民は何ができますか。

以上2点です。よろしくお願いします。

○小出 どれくらい危険かという話ですけれども、私は、先ほども聞いていただいたつもりですが、被曝は必ず危険です。そして、放射線を出すのが「放射能」と呼ばれているものであって、そういうものを環境に出してしまえば必ず危険を伴うということを、まず覚悟していただかなければいけないと思います。

今、東京電力が出そうとしているのは、特にトリチウムという名前の放射性物質です。

細かくこれを聞いていただこうと思うとすごく大変なのですけれど、トリチウムというのは水素です。

先ほど私はヨウ素の話をさせていただいて、天然にあるヨウ素は放射能を持っていない、でも原子力発電所では放射能を持ったヨウ素ができてしまうという話を聞いていただいたわけですが、トリチウムというのも天然にはありません。ごくごく少ない量で言えば原理的にゼロではありませんけど、でも基本的には天然にはありません。原子力発電が動くことで初めて放射能を作り出すわけです。

それで、水素というのは環境に出れば必ず水になるのです。水というのは、私たちが生きるために絶対に必要なものです。私の体の多分60%から70%は水です。この地球は、水が命を支えているという星なのです。そしてその水は、もともとは放射能で汚れてない水だったのです。でも、原子力発電を動かすことによってトリチウムという放射能ができてしまって、もしそれを環境に出せば全部水になってしまうという、そういう放射能です。

水の惑星で、私の体はほとんどが水なのに、その水を放射能で汚すということを今やろうとしているわけで、私は、やってはいけないと思っています。できる限り避けるべきだと思っています。

そして、避ける方法はたくさんあるのです。例えば、今、130万トンの放射能汚染水を約1,000基のタンクで溜めていて、東京電力と国は「もうこれ以上タンクを作るスペースがない」というようなことを言っているのですけれども、冗談じゃないです。福島第一原発の敷地には、7号機と8号機という原発を作ろうとしていた広大な敷地が北側に残っています。国と東京電力は「そこはこれからの事故処理のために使うから空けておかなきゃいけない」なんて言っているわけですけれども、現に空いているのです。そこに建てることもできるし、それ以外、東京電力の福島の敷地の周りは、中間貯蔵施設という広大な土地があります。そこは、あちこちから集めてきた、掘った土であるとか、そういうものの置き場として国が特別措置法を作って確保した土地ですけれども、そこを使えばいいのです。また特別措置法を作ればいいだけのことなのであって、タンクを増設するなんていうことは実に容易なことなのであって、それをすべきだと私は思っています。

そうしたら東京電力のほうが「タンクって、今作っているのは仮設もたくさんあって、壊れて漏れてしまうからどうなんだ」ということを言い出した。「冗談じゃない、ちゃんとしたタンクを作ればいいじゃないか」という話なわけですし、これから作るのであればちゃんとしたタンクを作ればいい。

どうしてもだめだと言うなら、汚染水をモルタルで固めるということを提案している人たちもたくさんいるのです。要するに固体にしておけばいいと。これも容易なことです。

そのほか、福島の周辺に、地下に空洞がある場所があって、その空洞に圧入すればいい。それも簡単だと言う人もいる。

そのほかに、例えば海というのは、東京電力と国は、沖合まで1キロだったか2キロだったか、トンネルを作って、そこから海へ流すと言っているわけですけれども、そんなことをやったら海が汚れるわけですが、海というのは表面の水と深いところの水は混じらないのです。ほとんど混じらない。ですから、もしトリチウムを捨てるというなら、表面に捨てないで、深い海に捨てるようにすれば1,000年間は閉じ込めておくことができる、というようなことを言っている人もいます。

つまり、現実的に可能なのです。今の放射能の汚染水を海へ流さないで済ませるということは現実的に可能です。山ほど方策があるのですけれども、どうしても国はやらないのです。そして、それには理由がある。

福島の事故で熔け落ちた原子炉は、1号機、2号機、3号機です。炉心の重さは全部で250トンです。その中に死の灰が含まれていて、トリチウムもその中に含まれていた。そのトリチウムをどうするかということが問題になっているわけですけれども、もし福島の事故がなかったとしたら、福島の燃料はどうなったと思いますか、皆さん。

もし福島の事故が起きてなければ、日本の原子力政策にのっとって、福島の使用済みの燃料は、青森県の六ヶ所村に今作っている再処理工場に送られるという計画なのです。

再処理工場というのは、使用済み燃料の中からプルトニウムという長崎原爆の材料を取り出すということを唯一の目的にしている工場ですけれども、そこで作業をしたときには、トリチウムはもちろん余分なものとして出てくるのですけど、捕まえるということが全くできないので、全量を海へ流すという、もとからそういう計画だったのです。

ですから、福島の事故が起きなければ、福島の炉心に入っていたトリチウムは青森県の六ヶ所村へ送られて、そこで海へトリウチムが流された。

おまけに、六ヶ所の再処理工場では、1年間に800トンの使用済み燃料を処理すると言っていた。800トン分の燃料に入っていたトリチウムは全部、海へ流します。毎年、毎年ですよ。それでも安全だと言ってきたのです。

もし、今、福島の250トン分の燃料に含まれていたトリチウムが大変危険で、保管しなければいけないということを認めるとすれば、六ヶ所の再処理工場を動かすことができない。つまり、日本の原子力の根幹が崩れてしまうことになるわけで、国としては絶対に認めない。トリチウムはもう海へ流す。海の水で薄めてしまえば安全なんだというのが彼らの論理で、それを強行しようとしているわけです。

ですから、「福島の汚染水」と言うと何か福島の事故だけに関係していると皆さん思われるかもしれませんけど、違います。日本の原子力の根幹の問題を今争っているということなのです。

私としては、放射能は危険で、できれば無毒化したいとずっと思ってきましたが、現代の科学では放射能を無毒化するという力を持っていない。残念ながら、人間には放射能を無毒化する力がない。同じように、自然にも無毒化する力がないのです。放射能を消すという力がない。自分に力がないから自然に任せてしまうという、そういう考え方自身が間違えていると私は思っていて、自分で始末のつけ方が分からないというような毒物はそもそも作ってはいけない。

原子力なんてやってはいけないんだというのが私の一番根本的なスタンスであって、残念ながら福島の事故では既に大量の放射能をまき散らしてしまいましたけれども、これ以上、放射能をまき散らすなんていうことは可能な限りやめるべきだし、今の汚染水についてはその手だてもあるので、それをやるべきだろうと私は思っています。

では、それを具体的に市民の力でどうできるのかということも、たしか2つ目のご質問のことだったと思いますけれども、すみません、私には分かりません。

今私が考えていること、気づいていることを皆さんにお伝えしました。何とか止めたいと思っていますけれども、私の個人の力なんていうのはまことに弱いものなのであって、これまで原子力発電をどんどん許してきてしまったのも、私には力がなかったせいなのであって、どうすれば福島の汚染水を流さずに済むかということも分かりません。でも、とにかく一人一人が声を上げて、そういうやり方に反対していく、東海の原発を国に任せない、福島の放射能も流させないということを、一歩一歩やるしかないんだろうなと思っています。

ちょっと飛躍するかもしれませんが、一番簡単なのは自民党を倒すことだと私は思っています。(拍手)これすら、なかなか遠い目標ですけれども、やりたいと思っています。以上です。

○司会 ありがとうございました。次の質問の方、どうぞ。

○質問 利根町から参りました佐藤と申します。

小出先生もご存じのように、利根町は事故が起こったときのホットスポットです。それで、私たちはボランティアとして、年2回、町内全域18か所の定点観測を続けています。先生のきょうのお話にもありましたように、セシウム137の半減期は30.1年で、100年かかっても10分の1にしかならないということです。

それで、お聞きしたいのは1つなのですけれども、空間線量について、これは先生にお聞きするべきかどうかということなのですが、ちょっと分からないことが起きまして。

今年の10月が16回目になるのです。測定。年2回やっているのです。5月と10月と。今までは、当然のようにというか、下がってきていたのです。ある程度まで下がって、もうほとんど横ばい状態というか、数%程度下がっていたのですが、今度の一番新しい、10月に測定したときに、何と上がっちゃったんですよ。それも、全体の測定地点の中の33か所が上昇しているということで、ちょっとびっくりしているんです、私自身。

その点について先生にお聞きするべきかどうか分からないのですが、考えられることというのはどういうことがあるでしょうか。

○小出 長い測定お疲れさまです。ありがとうございます。

私は先ほどセシウム137という放射能は半分に減るまで30年かかると。100年たっても10分の1にしかならないと聞いていただいたわけですが、それは、セシウムという放射能が持っている本来の物理的な性質のことを聞いていただきました。

ただ、環境にある場合には、実はそれだけではないのです。例えば、雨が降れば流れていくのです。そして、地面の底のほうに浸透していくというような効果があって、放射能の汚染量というのは物理的な性質だけでは決まらない。

特に私たちは「ウォッシュアウト効果」と呼んでいますが、雨あるいは風もそうですが、そのときに移動しているのです。そして、その移動する量というのは、セシウムという放射性物質でも、土にかたく固着する成分と、そうではなくて移動しやすい成分というのが、大ざっぱに言えば2種類あって、移動しやすい成分というのは、事故直後からどんどん、あちこちへ移動しているのです。

土に固着しているものに関しては、もうそこにずうっとあって、30年で半分という性質で来ているものなのです。そうすると、ある場所で測っているとどうなるかというと、大抵の場所では移動しやすい成分というものがその場所から流れ出ているのです。ですから、事故直後何年間か測定していると、かなり「あっ、減ってくれているな」ぐらいに見える時期があるのですけれども、それ以降になると、もう土に固着しちゃっているから減らないという時期に入るのです。

それで今増えたとおっしゃっているわけですが、ちゃんとしたデータを見せていただいたらまたお答えしたいと思いますけれども、要するに、それは周辺から多分そこに流れ落ちているということなのだろうなと思います。それはどういう地形条件なのかということにも絡んでいますので一概には言えないと思いますが、もし確実に増えているというのであれば、周辺から流れ込んできているということです。

分かっていただけると思いますけれども、放射能は、物理学的には固有の半減期でしか減りません。ですから、事故が起きてから今12年になろうとしているわけですが、セシウム137は8割残っているのです。どうしようもなく残っているのです。それがどこにあるかというだけのことなのであって、一時的に減ったと見えても、減った分はどこかで上がっているわけです。一時的に増えたというのはどこからか来たということであって、多分、様々な複雑な要因が絡んでいるでしょうし、これからもそういうことがずうっと続くというふうに思っていただくしかないと思います。

ちゃんとしたお答えになっていなくて申し訳ありませんが、データを見せていただければまた……。

○司会  次に。

○矢間秀次郎さん 先生、今日は最新の情報をお伝えいただいて誠にありがとうございます。私は東京から参りまして、皆さんにお配りました「奔流」という雑誌の編集長で、今日は取材を兼ねて来ておりますが、今度の特集のテーマは、子どもの甲状腺がんを特集する予定でございます。映画も4本ほどドキュメンタリー映画を作っておりまして、小出先生にもご出演いただいたりしました。

今日の先生の最後のくだりのところになりますが、国民一人一人、我々大人が責任を持つ。子どもたちに両手を重ねて守ろうじゃないかと、あの気持ちは十分に分かりますけれども、先生も科学者の一端を担ってきた人間として、最後に1分で終わりますから聞いてほしいのです。

実は、1985年に1万9,000人の疫学調査をしました。原発周辺の住民、原発労働者及び原発に関係する方々の一群と、原発からはるかに離れたところの一群とを対比して、疫学調査をしたところ、トリチウムの男性の前立腺がんへの有意な相関が、かつてない、80倍という結論が出たのです。

この論文を私はかなり引用しながら展開しておりますけれども、元通産省の役人及び関係学者が、「いや、そうじゃないんだよ、これは100倍にすれば、あなたが思うほど危険ではない」と。かなり安易に海への放出ができるかのような言説を、我々の前で言ってはばからないんですよ。こういう態度で、まだ懲りない面々といいますか、おるということについて、やはり専門家の責任、サイエンスの責任ということも、もうちょっと声高に言っていただきたいと思います。

ここはつくば学園都市にも近いです。研究者がもう一度市民を立て直して、日本の明日への責任を負うべきじゃないかと思いますが、先生、一言、活を入れていただきたいと思います。研究者の責任です。どうもありがとうございました。

○小出 ありがとうございました。矢間さんがおっしゃったこと、そのとおりだと私は思います。私は先ほど、原子力マフィアの中に学界という組織のことも書いておきましたが、いわゆる学者たち、専門家と呼ばれる人たちも、原子力マフィアの一員なのです。

それで、日本というこの国では、学者と言うと、何か人格高潔で、正しいことをちゃんとやる人だという考え方が広くあるように私には見えるのですけど、間違いです。

皆さん、子どもを育てるときにどうやってこれまで育ててこられました? 「学校でちゃんといい点を取ってこいよ」、「塾へ行って勉強してこいよ」、「少しでもいい点を取れるようになって、いい学校へ行けよ」、「いい職場に行って出世しろよ」と言って、過去、皆さんもそうやって子どもを育ててきたんじゃないでしょうか。

日本中がそうやって子どもたちを育て、そして、いい点を取った人はどうなるかというと、一部が学者になる。要するに、ほかの子たちを蹴落としてでも自分はいい点を取って、出世しよう、そういうコースに一番乗った人が学者なのです。そういう人たちに期待することは私は間違いだな、申し訳ない、というふうに思っています。

確かに、学者がもっとしっかりして、自分たちの知識に基づいてきっちりと発言して、呼応すべきだと私は思います。でも、残念ながら今の日本という国では、そういう学者は圧倒的な少数です。申し訳ないけど、そういう現状だということだけご理解いただきたいと思います。

○質問 ありがとうございました。(拍手)

○司会 やっぱり、学者という権威にすがろうとする市民の考え方も間違っているのかなという気が私はするのですね。もっと自分たちで考えて、人任せにしないという態度が必要なんじゃないのかなと。

私は科学のことはよく分からないのですけれども、それでも必死になって勉強してきたのですけど、ほとんどの方は、自分たちとは関係がないというふうに思われているように感じられるので、学者よりもやっぱり市民が頑張らなければいけないんじゃないのかなと思うのです。(拍手)

チェルノブイリ法という法律ができたのも、やっぱり被害者が自分たちの権利を守ろうとした戦いの末にチェルノブイリ法という方法ができたと思うので、日本人はやっぱりその辺がまだ弱いんだなという気がするのです。いかがでしょうか。

先ほど避難計画のことをお話しいただいたけれども、日野さん、スクープをしていただいて判決に結びついたかなと思いますので、一言どうぞ。

○日野行介さん ご指名いただきました、元毎日新聞の記者の日野といいます。

きょうは小出さんに、私の本の推薦をいただいたので、お礼のごあいさつに来ようと思って参りました。

私、結構、原発反対とか脱原発の市民運動の方からも結構嫌われておりまして。というのは、皆さんがだまされていると言っているからですね。根本のところでだまされている。

今回、避難計画の話もそうで、「避難計画をちゃんと作れ」というのは、原発再稼働を後押ししているのと同じなんですよ。誤って土俵に乗せられているだけなのです。

だから、今日、小出さんの話を聞いていても思ったのですけど、やっぱり物事の根本のところは何なのかということを常に考えないと、この原発って多分太刀打ちできない。それだけの怪物なんだと。原発そのものが怪物なんじゃなくて、原発が持っている矛盾を覆い隠して、だまして進めようとしている人々。「小役人」と僕は言っているのですけど、この小役人が怪物なんだと。この小役人の怪物たちにだまされないように、皆さん気をつけてください。以上です。(拍手)

○司会 ありがとうございました。

佐藤先生や前田先生もいらしていただいているので、一言ずつぜひお願いします。

○佐藤嘉幸さん 筑波大学の佐藤嘉幸です。いつもすばらしいお話をありがとうございます。

市民にとっていちばん重要なのは、福島の事故を忘れずに、それをずっと行動に移し続けていくということだと思うのです。そのためには、小出さんのような、ずっと長い間、反原発運動をされてきた方のお話、とりわけ科学的な知識を伺いながら、市民の側もきちっと切磋琢磨して頑張っていく、というそういうような関係でやっていくべきだと。私は哲学を専門にしていて、科学者ではないので、市民のほうに入るかと思いますけれども、そういう形でやっていくのがいいのかなというふうに思っている次第です。

小出先生、どうもありがとうございました。(拍手)

○前田朗さん はじめまして、東京造形大学の前田朗と申します。

チェルノブイリの事故の直後に私、高木仁三郎先生の追っかけをしていました。でも、最悪な人間で、二、三年で忘れてしまった者の一人ということになります。

で、福島の後に、これは忘れるわけにはいかないということで、仲間と一緒に「原発民衆法廷」という企画をやって、原発の関係者の責任追及という法令案を作るという作業をしました。

その延長で、佐藤嘉幸さんの『脱原発の哲学』というすごい本にぶつかりまして、佐藤さんにお願いして講演していただいたり、小出先生にもお願いをして講演していただきました。そういう関係で今日は参加させていただきました。

高木仁三郎さんが残した言葉の一つに「市民科学者」という言葉があります。学会の科学者とはまた別に、市民の立場で市民の科学を発展させるという発想を出されたので、多分きょういらっしゃる皆さん、私たちも、言葉はともかくとして、そういう考え方でもう一度見直していく必要があるのかなと思います。

今日はどうもありがとうございます。(拍手)

○司会 西山さん、一言。

○西山誠一郎さん 西山と申します。

先ほどちょっと紹介をいただいたときに、正確に言いますと、2017年3月末に、特に区域外から避難された方たちの住宅の無償提供が打ち切られたときに、たまたま、その前から記者会見とかでいろんな人が質問していたのですが、避難者住宅の無償提供打ち切りということで、記者会見でたまたま、復興庁は、本当に寄せ集めというか、いろんな省庁から、利権をめぐって人を集めてきたようなお役所で、ある意味、まとまりやすくないので、記者会見が結構雑駁な感じで、記者会見をやっているうちに大臣と私の掛け合いのようになってしまって、最後、区域外自主避難は自己責任だと大臣が発言して、「お前、記者会見を出て行け」みたいな発言がありました。

その後、稲葉復興大臣だったのですが、2階のパーティーか何かで「震災があっち(東北)のほうでよかった」と発言をして、それですぐに当時の安倍首相が更迭したということがあったので、辞めさせたのは安倍さんだったのですが、あの頃はまだ安倍首相も、結局、もちろんオリンピックを招致したりとかいろいろ、アンダーコントロールみたいなのがあったわけですけれども、あのときはまだ、東北のほう、それから福島の原発事故のことで、何か、そちらを意識するような、「そちらでよかった」みたいな発言をすると、福島の復興なしに日本の、そういう大義名分があったので、一応、やっていることと言っていることは違ったのですけれども、表面上はそうやって、福島の原発事故のこと、それから東日本大震災の被災者のことなどについて、何となく気配りは、ポーズとしては見せなきゃいけないというのがあったのですね。

ただ、今はもう本当にそれはなくなってしまって、原発の再稼働にしても汚染水の問題にしても全て、何かあると風評という形で全部ごまかしてしまう。それから、避難者の存在そのものも認めないというか、ずっと家賃は持ち出しで払っているようですが、倍を請求したりして、国家公務員住宅としてはどんどん追い出しにかかっているという状況があるわけです。

ですから、安倍さんのときに比べても今の岸田首相の状況というのは、もっとさらに、存在そのものを消していく、原発事故があったこと自体をなくしていくという、そういうふうにして、どんどん再稼働していこうというプロセスで、垂れ流していこうという方向にあるんだと思います。

でも、どうなのでしょうかね、今日のお話を聞いていて、この間も、特に避難者のことについては、先日、国連の、国内避難民の指導原則に基づいて、特別保護者として、日本政府に対して、ちゃんと国内避難民として扱えというような勧告も出たわけですが、日本が今、原発をまたどんどん再稼働していく、老朽原発についても再稼働の中に含めていくという、どんどん基準が緩んでいくような状況があるわけですけど、日本のこういう動きに対して、なかなかIAEAはそういうことに口を挟まないのかもしれませんが、世界的に見ると、こういう流れは、日本が福島原発の事故を起こしたのにもかかわらず、今、岸田政権になってこういう動きが続いているということに対して、何か国際社会から危惧をするようなまなざしというのはあるのかどうかということを小出先生に伺いたいのですが。

○小出 難しいご質問です。例えば汚染水を海に流すということに関しては、韓国や中国からは、反対という明確な意思表示が出ていますし、原子力の恩恵を受けていない国のほうが世界には山ほどあるわけであって、そういう国から見れば迷惑以外の何ものでもないはずなのです。

ですから、今現在、声を上げられる国というのは余り多くありませんけれども、今、西山さんがおっしゃったように、国際的に声を上げさせるということも大切なことだと私は思います。

ただし、先ほども聞いていただいたように、日本というこの国が原子力を進めようとする限りは、汚染水は海に流すしかないです。そうしなければ日本の原子力は根本から崩れるということですので、なかなか難しい戦いを今しているということは念頭に置いていただきたいと思います。

○質問 ということは、やっぱり汚染水を流すということの意味を含めて、もっともっと汚染水についての取組というのはアピールしていく必要があるというふうにお考えでしょうか。

○小出 はい。確かにそうだと思いますけど、福島の汚染水というような考え方ではなくて、日本の原子力政策の根本が絡んでいるということをきちっと理解した上で反対をしないとだめだろうと私は思っています。

○司会 はい。肝に銘じたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

では、時間になりましたので、今日はここでおしまいにしたいと思います。

小出先生、今日は本当にありがとうございました。(拍手)

(了)

(2022年11月25日、茨城県南生涯学習センター多目的ホールにて。

 

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茨城県では、 東海第二原発の再稼働が目されており、 私たちにとっては大きな大きな課題です。
もし2度目の事故が起きたら、 茨城県民も避難しなければならなくなって、 保養支援どころの話ではありません。福島では、甲状腺癌の子供たちがたくさんいるのにもかかわらず、原発事故との因果関係を認められないので、 とうとう被害者が裁判を起こすことになりました。
被曝に関しての情報が隠されていて、 多くの人が知らないままに過ぎてきていることが
根本的な問題だと感じてきました。

2011年3月11日19時3分に「原子力緊急事態宣言」が発令され、現在も解除されていません。原発事故は終わっていないのです。「緊急事態宣言」下だから本来の法令は守らなくてもよいとして、政府は一般人の被ばく限度を一年間に1mSvから20mSvに上げてしまいました。放射能は微量でも危険で、成長過程にあって細胞分裂が盛んな子どもは、放射能の影響を大人の何倍も強く受けます。 福島では300名もの小児甲状腺癌の発症があって、多くの再発も起きており、皆苦しんでいます。原発から20kmを超える地域でも汚染が認められていますが避難対象になりませんでしたし、 福島県以外では健康調査も行われていません。国の宝である子どもを守れなければ、日本の未来は暗くなります。 放射性物質の危険性について、一緒に考えていただきたいと思います。
【小出裕章 プロフィール】
1949年東京生まれ。元京都大学原子炉実験所助教、原子核工学者。原子力の平和利用に夢を抱いて東北大学工学部原子核工学科に入学。原子力を学ぶことでその危険性に気づき、放射線被害を受ける住民の側に立ち活動。著書に「隠される原子力・核の真実ー原子力の専門家が原発に反対するわけ」(創史社)「原発のウソ」(扶桑社新書)「原発事故は終わっていない」( ‎毎日新聞出版)「原発はいらない」(幻冬舎ルネッサンス新書)など

放射能は微量でも危険です!子どもを守りましょう
核兵器製造の技術能力を持つために、原子力の平和利用を進めてきた日本は、福島事故を経験しても、核発電から撤退すること無く、老朽原発を次々再稼働させようとしています。

「原発が安い」も「安全」も、「クリーン」も真赤なウソです。
3.11事故では、数十万人の人間が故郷や家、生業や仲間との絆を奪われました。命を失くした方や病に倒れた方も数知れません。放射線管理区域以上の汚染にまみれ、本来なら居住を禁じられるべき土地と化した広大な地域に、子どもや青年、妊娠可能な若者も、住まわされています。放射性物質は未だに福島第1原発から放出されています。次の地震がくれば、さらに過酷な事態が起きる可能性が否定出来ません。
原発は通常運転であっても放射能が漏れ出ます。事故が起きる恐れを取り除き、誰もが健康に生きられる安全な社会、避難の心配などしなくて良い社会を作っていきましょう。

成長過程にあって細胞分裂が盛んな子どもは、影響を強く
受けます。生後3ヶ月の幼児は、甲状腺ガンの原因となる
放射性ヨウ素の場合、大人に比べ22倍の影響を受けます。

放射線のエネルギーは分子結合を切断する
体に満ちている水の分子が破壊されて発生する水素と水酸基のラディカル=活性酸素が遺伝子を壊すのが間接作用です。放射線でじかに壊される直接作用より、反応性が高くて危険であることが知られています。

被ばくとは、放射能の圧倒的な力を受けることです。
放射性物質の粒子は、生物の分子の結合エネルギーの数十万倍から数百万倍もの膨大な力を持っていて、体内で銃弾のようにぶつかるので遺伝子は次々傷つきます。強烈なエネルギーの高さを考えれば、どのような健康被害も生じると考えるのが科学的です。細胞のつながりが壊されますから、「安全な被ばく」というものはありません。その影響は蓄積し、人によって様々な病気を引き起こします。3.11原発事件後、腎臓病、肝臓や心臓の病気、及びガン発病が、顕著に増えました。外からの被ばくを低減するためには、時間と距離を取って、遮蔽しなければなりません。     体に放射能を取り込む危険な内部被ばくは、呼吸や食事、皮膚からの吸収に対して、細心の注意を払う必要があります。原発の敷地境界の線量目標値は、事故前には1年間に0.05mSvと約束されていました。

小出裕章氏講演記録 必見動画
「破たんしている原子力 それでもしがみつく理由」
https://www.youtube.com/watch?v=DOEgwvGODic

小出裕章氏HP
http://www.go.tvm.ne.jp/~koide/Hiroaki/index.htm

 

 

連続シンポジウム 東海第二原発 避難問題を考える
第2回 福島の10年から考える避難計画の問題点

日時 2021年2月26日(土)13:00〜16:00
オンライン開催 参加費 500円 避難者は無料

第2回避難問題シンポジウム もうすぐ原発事故以来11回目の3月11日を迎えるとともに、 東海第二原発の再稼働が目論まれている秋が着実に迫って来ています。
12月18日に開催される予定だったシンポジウムは、主催者の都合で延期とさせて頂きました。
 やっと体調及び状況も落ち着いて来ましたので、2月26日に改めて実施したいと存じます。
 
 ただ、コロナ感染状況が改善されていないため、Zoomでの開催といたします。
今回のシンポジウムは、「いないことにされる私たち」を出版した青木美希さんから、原発被害を隠そうとするために、避難者がいないことにされる実態を詳しく語っていただきます。
 
 また、いわき市から避難してきて大学生になった鴨下全生さんには、同世代の若者たちに実施したアンケートからあぶり出した、原発問題における現状認識のズレなどをお話し頂きます。
 元双葉町町長の井戸川さんからは、避難の厳しさのリアルな実態をお話し頂きます。自主避難者と呼ばれて避難住宅を追い出され、裁判に訴えられて更なる被害を押し付けられる区域外避難者の苦難に心を痛めて、国や福島県が事故時為しえなかった事、「不作為による人権無視の加害の実態」を追求して下さっておられます。
避難問題の本質に迫る話を皆様に聞いて頂きたくご案内申し上げ、多くの方のご参加をお願いいたします。
お申し込み下さいました方に、Zoom:URLをご連絡させて頂きます。
お電話・メールにてお申し込みください。 参加費500円 避難者は無料
 問合せ先 事務局 小張090−9108−0464  saekoobari@gmail.com 
      長田090−7845−6599 osada3220@nifty.com 
主催 福島応援プロジェクト茨城
催事参加費振込先
 
【ゆうちょ振替口座番号:00180−2−466753 加入者名:福島応援プロジェクト】

 

第1部    青木美希講演会
「いないことにされる私たち」

ジャーナリスト青木美希氏は、震災直後から現場に足を運んで取材を続けて来ました。実態を無視した帰還事業、弱者への支援打切り・・・・
自治体の「町残し」だけが進み、避難者がいないことにされていく実情。
分断といじめ、情報の隠蔽など避難の厳しさについて、語っていただきます。
青木美希 プロフィール
札幌生まれ。北海タイムス、北海道新聞を経て朝日新聞社。
「警察裏金問題」「手抜き除染」「プロメテウスの罠」で各取材班で新聞協会賞。
原発事故被災者を描いた「地図から消される街」(講談社)は貧困ジャーナリズム大賞、日本医学ジャーナリスト協会賞特別賞、平和・協同ジャーナリスト基金賞奨励賞を受賞。8刷に。
「いないことにされる私たち」2021年4月出版。

第2部  座談会
「自治体・電力・政権が隠した汚染と危険の情報」

青木美希  朝日新聞社。ジャーナリスト。
井戸川克隆 双葉町元町長。町民を県外避難させた唯一の首長。
鴨下祐也  博士(工学)。高専教員職を捨てて避難。福島原発被害東京訴訟原告団長。
鴨下全生(まつき)  過酷ないじめを乗り越えて、今、証言活動や調査に取り組む。

福島原発事故から10年経つ今も、原子力緊急事態宣言は発令されたままの日本で、政府発表避難者数4万人は、各市町村の把握する数7万人の6割に過ぎない。「いないことにされる私たち」は、 その状況を丁寧な取材によって明らかにしている。ロシアのチェルノブイリ法に拠れば、移住の権利が付与され、住まいが手当されるレベルの放射能汚染地域に百万人以上が住んでいるのが、日本の現実だ。事故前は、原発敷地境界で0.05mSvを超えないことが約束されていたが、400倍の20mSv/年が押し付けられ、福島への帰還が促進されている。

放射性物質の健康影響の過小評価が、ここまで極まったのは、賠償・補償を抑制し、組織存続を図ろうとする政権や自治体、電力会社の思惑と都合によるといえよう。安全論浸透拡散には膨大な予算が使われている。東海第二原発差止め訴訟水戸判決文が明らかにした「何らかの避難計画が策定されていればよい、などといえるはずもない」ことを検証したい。

主催 福島応援プロジェクト茨城

なお青木さんの著書「いないことにされる私たち」を頒布いたします。
第一回シンポジウムのDVDを付けて消費税サービス、送料無料の1500円です。
まだ読んでいらっしゃらない方はぜひお申し込みください。

鴨下家の肖像 差別や偏見と闘って生き延びてきた
鴨下祐也さん 事故直後、家族で東京へ避難。しかし授業再開した福島高専の仕事に戻るため独りいわきへ。 放射線の危険性を訴える鴨下さんは学内で孤立し、ストレスにさらされた。1年半後、心身ともに疲弊して仕事を辞め、東京で家族と合流。「ひなん生活者をまもる会」の代表も務め、専門知識を持って、発言を続けている。

鴨下全生さん 8歳で福島県いわき市から東京に避難した区域外避難者。小学校時代は、「菌」と呼ばれ、脚に鉛筆を刺されたり、階段から突き落とされたりと、過酷ないじめを受け、中高生時代は境遇を伏せることで、孤独と心の痛みに苦しんだ。死にたいと思うほどの苦悩から、ローマ教皇に手紙を送り、19年3月にバチカンで謁見。更に同年、教皇来日の際には、被災者代表として登壇し、改めて原発の理不尽や危険性を訴えた。今年大学生になった全生さんは『今の社会の理不尽をなくそう』と、様々な活動に取り組んでいる。

双葉町元町長 井戸川克隆氏の思い

本来は、国、県、市町村、原子力事業者防災専門官が集まって、情報共有と意思統一を図り、原子力災害合同対策協議会が組織されることと決まっていました。官邸が一切を仕切って避難の線引きをしたのは、不当な介入だったのです。

私は福島に残っていた双葉町民を避難させようとつくば市の公務員住宅に入れてもらえるよう頼んで、すべての部署の了承を得ることができていました。
しかし、福島県は県民を県外に出すことを拒み、実現させられなかったのです。

私が埼玉を目指したのは町民の生命を守り、被ばくから守るためでした。放射能に汚染されたら元に戻る事はできません。
原発事故は、仕事も財産も地域文化も全て失うので、もしもの際自分の賠償額はいくらになるのか計算しておき、稼働承認者と契約をしておくべきでしょう。

福島原発事故は災害ではなく事件ですが、警察は動かず、だれも責任をとりません。避難計画にも国は責任を持ちませんし、国民を守ろうとはしませんでした。避難生活は惨めで苦しく、不幸そのものです。私達の苦難と失敗を教訓にしてください。

催事参加費振込先

【ゆうちょ振替口座番号:00180−2−466753 加入者名:福島応援プロジェクト】
  〒300-4104 茨城県土浦市沢辺792

 福島の子どもたちの保養受入れ及び避難者支援、上映会や講演会などの脱原発の催事開催を続けています。活動のための募金の協力をお願いしております。
会員募集中(年会費 3,000円)。